およそ半年後に就職活動を控えている今日この頃。
就職するために必要な専門的知識と、それとはまた別で要求される社会人としての常識力や落ち着き、意見の発信能力や積極性といった種々の能力を向上させるためのなんらかの訓練が必要なのはわかっているはずなのに、僕を含めた操縦学専攻のメンバーは誰もそれを集団として実行しようとはしない。
一般的に、日本の大学生は遊んでばかりで、大学在学中に勉強にすべてを打ち込む学生なんて皆無といわれている。言い換えれば、勉強以外のところでエネルギーを使う傾向が強い。大学生のほとんどは、ただ大学に在学しているだけで、部活で言うところの幽霊部員に近い存在になっていると言っても過言ではない。
しかし、勉強以外のところにエネルギーを注ぎ込んでいるのが悪いというわけではない。
実際のところ、大学の教育が「教員が教える」というよりは「学生が学ぶ」という環境にあるのは、学生が大学の勉強だけでなく、自分の生活に密接する地域のおけるボランティア活動や、地域活性のための活動などに積極的に参加できるようにするためのものである。ほとんどの場合は大学のカリキュラムというのはある程度余裕をもっており、学生の活動の範囲を広げるためには最適の環境であると言える。
アルバイトなども学生が良い経験を得られる活動のひとつで、いろいろな職種を実際に体験したり、職場の雰囲気や「働くとはどういうことか」ということを身をもって体験することができる。
「大学生活は人生の夏休みだ」
と言ったのは僕の知り合いの中学教員だが、確かにアルバイトをしてサークル活動もして飲み会をたまに開いていろいろな友人といろいろな話をして、卒業時に必要とされる最低限の単位さえとっていれば、大学生活を十分に謳歌したといえるだろう。
ところが、現実には、その楽しみ方さえ現代の大学生は知らないような気がしてならない。
とにかく「外には出ない」「本気を出さない」タイプの人間が多くなってきているような気がするのだ。
なるべく人と関わらないようにしようという傾向が年々強くなってきているのではないかと心配になる。また「自分はこれを目指すんだ」とか「こんな人間になるんだ」といった目標設定がほとんどなされていないような気がする。
とは言えども、僕自身もまだ大学3年生なので、最近の大学事情をそれほど熟知しているというわけではない。ただ、そんな僕でも心配になるのだから、日本の将来はかなり危ういのではないか、とそう感じるのだ。
方や、わが操縦学専攻を見てみると・・・。
状況は大して変わらない。
変わることがあるとすれば、自分にいま要求されている勉強のレベルに達する努力を怠らないことぐらいだろうと思う。頻繁に実施される試験の基準点に達する努力を怠らないということだ。
目標が同じなのは確かだが、「切磋琢磨」といった感じではない。
各自が淡々と自分の仕事をこなしている、退屈なオフィスのような感じだ。
勤務時間の終了時間になれば「お先に失礼します」の言葉もなしに荷物をまとめて帰ってしまう。中には進んで残業をするものもいるが、それを横目に「アイツよくがんばってるね~なんであんなにがんばるのかがよくわからん」と冷たくあしらう同僚もいる。
そんな感じじゃないだろうか。
前述の「一般的に言われる日本の大学生」と、わが操縦学専攻の人間に共通して言えることは、「成長する意欲が弱いこと」ではないだろうか。
ある試験の点数が前回とった点数よりよければ、それを成長と言うことはできるかもしれないが、僕が述べたいのは、勉強や試験の点数だけでは測れない形のはっきりしない「成長」のことだ。
数人の前で話をするときに緊張せずに堂々と話せるようになりたい
どんなタイプの人とも、自分らしさをうまく出しながら協力しあえるような我慢強さと協調性を身に着けたい
そういった漠然とした目標を掲げて、その理想に向かって努力し、成長する喜びを得たいと思えるかどうか、それが大切だと思うのである。
僕自身は、かなり自分の成長に対する願望が強い方だと思うが、いま現在その成長のための活動はほとんど何もできていない。いま自分のおかれた環境が、自分の考える成長のための活動をする場所として適当ではないからだ。逆に考えれば、僕は自分の都合のいいように成長しようとしているだけなのかもしれない。つまり自分がいまもっている能力をさらに引き出して成長させようとしているだけなのかもしれないということだ。
すでに自分のもっている能力をさらに成長させるというのは、一見かなり良いことのように聞こえるが、そうではないこともある。自分の活動の範囲が制限される場所で「自分はこれ以上成長できない」と見切りをつけて成長を止めてしまう可能性を秘めているからだ。
いま自分の置かれた環境で、いかに成長するかを柔軟に考えていかなければならない。
それができないのだから、この記事を書いているこの僕も、紛れもない「一般的な日本の大学生」の一部であり、自分の成長に対して鈍感で脆弱な自己の持ち主なのかもしれない。
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