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2009年2月

2009年2月17日 (火)

体育祭予行演習2008

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-僕が涙を流したのは
 彼らのひたむきに頑張る姿が
 ただ美しいと思ったからじゃない。

 その裏側が見えたような気がしたから。

 目の前にいる彼らの姿と
 中学時代の自分とを
 重ね合わせて見ていたから-



…僕が海外に身を移す前のこと…



夏が名残惜しそうに暑さを残しつつ、自分の居場所を秋へ譲り渡そうとしていたころ。

9月のはじめ、秋がはじまろうとしていた。

久しぶりにゆっくり地元にもどってきたから、何かしたくて出身中学に足を運んだ。僕が何のアポもなく急に中学を訪れても、先生たちは一切驚かない。3ヶ月に一度は、ほぼ必ず出現するから。笑

いつものように中学の校門を通り、職員室へと向かう。
僕はいつも落ち着いた気持ちで廊下を歩く。
廊下ってなんか落ち着く。
セメント造りの廊下はひんやりとしてて、少し薄暗くて、心を落ち着かせる効果があるんじゃないか、って思う。
1年に何度も訪れる場所も、どことなく懐かしさを帯びるものだと改めて感じた。

9月のはじめ、中学では体育祭のための準備が行われる。
体育祭の進行や係りの割り振りやいろいろな競技種目の出場の振り分け、各競技の練習などをする。

朝からクラスのみんなで集まって練習をすることもある。
通称「学レク」と呼ばれる学年別クラス対抗の競技があって、それで好成績を収めるためだ。クラス一丸となって勝利を勝ち取る。僕らが3年生のときの学レクはたしか30人31脚。はっきりした数は忘れたけど、2人3脚のクラス全員バージョン。朝からみんな揃って練習したもんだ。僕らのクラスは練習のときに一度もほかのクラスに勝ったことがなかったのに、本番当日で1着になるという奇跡を起こした。いま思い返せば、あれは誰一人あきらめずみんなで朝はやく集まって何度も練習した成果だと思う。涙が出そうなくらい嬉しかった。

今年の体育祭もその学レクが熱い競技となることは間違いないが、体育祭といえば女子のダンスと、男子の組立て体操がほぼ体育祭のメイン競技になるといえる。

体育祭の日が近づけば、それらの練習も本格的に始まる。

この秋に僕がはじめて中学を訪れたときは、体育祭に向けての準備は着実に進んでいるとはとても言えない状況だった。生徒同士でのいざこざがあったり、体育祭で踊るダンスの構想をゼロから作り直したいと女子生徒が言い始めたり、体育祭に集中したい時期にもかかわらず先生の頭を悩ませることがいっぱいあって、物事が前に進まない状態だった。先生や生徒にとっては、そういう経験ものちのちになってからいい経験として思い出されるのは間違いない。しかし体育祭の日程は動かせない。先生が焦っているのを察して、生徒の中にも焦りを見せ始める子がたくさんいた。

そんなバタバタした状態だった。


そんな中学を何度か訪れた。
そのうちに「体育祭見てから渡米したいなぁ」なんて思うようになっていった。
しかし日程的な問題で、僕は体育祭本番は見られないことがわかった。
確か体育祭本番は、僕が渡米する日の次の日かその次の日だったと思う。
本当は文化祭も見たかったけど、文化祭は10月に入ってからだということを知っていたので、僕はハナっから文化祭を見れることなんて期待してなかった。

そうして、体育祭も文化祭も見られないことに気付いてうなだれている僕を見て「体育祭の予行手伝ってくれたら嬉しいんやけど」と声をかけてくれたのは、僕のかつての担任の先生だった。

それが体育祭の予行演習前日のことだった。
つまり、僕が渡米するほんの2,3日前のこと。

僕は間髪をいれず先生に返事をした。
「手伝ってもいいよ」に「…人手が足りひんのやったら」という照れ隠しの言葉を添えて。


そうして迎えた体育祭の予行演習当日。
僕にとっては体育祭当日のようなもの。

空は少し雲があった。カンカン照りじゃないのがなんかもったいないと思ってしまうところだが、予行中ずっと外にいる先生や学生たちのことを考えると、ちょうどいいくらいだ。
本番当日、学生たちの熱いまなざしの上に太陽が顔をのぞかせてくれればそれでいい。

いろいろな種目の進行を確認しながらプログラムが次々と進められていく。もちろん、100m走などははじめの一列が走って、あとは全員塊になってゴールテープまで走って時間を省く。予行は各競技の進行を確認するためのものだから。

ただ、種目によっては本番と同じように行われるものもある。
学レクやリレー、ダンスに組立て体操がそうだ。

プログラムも終わりに近づいた頃、3年生の学レクが始まった。
僕らのときと同じ、30人31脚だった。
予行演習にも関わらず、誰一人として手を抜くやつはいない。そんなことをすればたちまちクラスの和が乱れ、勝利への道が閉ざされてしまうことをみんな知っているから。
そんな中3のみんなのがんばる姿を見ていると、胸に込み上げてくるものがあった。かつて自分たちがそうであったように、彼らにも彼らの学年全体の苦しみや悲しみがあったに違いない。嬉しいことや楽しいこともたくさんあったと思う。そんな経験をともにしてきた仲間と力を合わせて、今まで築き上げてきた絆の強さをこの体育祭で見せ付ける。それまで仲間と共有してきた時間の素晴らしさや尊さをかみ締める始める瞬間は、この中学最後の体育祭なのかもしれない、って勝手に思った。
気付かないうちに涙が溢れ出して、とまらなくなった。
みんな前を向いて必死になって走って、誰かひとりが転んでそこから乱れが広がっていき、進めなくなってしまう。転んでしまったところから再スタートするにしても、みんなの動きに焦りが見える。「もうダメかもしれへん」という気持ちと「まだあきらめたらあかん」というふたつの気持ちがチームの中に見えはじめた。しかし誰もあきらめず、ひとりも取りこぼさずにゴールを目指す。僕らが中学生のときに目指していたものはこれだったんじゃないかって改めて思って、当時の自分の不甲斐なさを感じて、胸が締め付けられる思いがした。いろいろなことがあったけど、それでも前を向いてとにかく前に進もうとしていた中学時代。もっといろんなやつと関わっていたかった。中3のときに感じた僕の心の満たされない感情は、それだったのかもしれない。そう思うと涙が止まらなかった。恥ずかしかったけど、顔がぐしゃぐしゃになるくらい泣いた。

中1よりも中2、中2よりも中3のほうが、一瞬一瞬にかける気持ちは強い。この予行演習も彼らにとってはかけがえのない一瞬として心に刻まれる。そのことに薄々気付き始める子が桂中の3年生にはたくさんいたように思えた。

あの日、僕らが奇跡的な勝利を手に入れたときと同じように、ひとりひとりの努力が勝利へとつながり、ともに歩んできたクラスの仲間との努力はいつまでも心の中に輝きとして残りつづけることを、彼らにもこの体育祭で感じて欲しいと願った。

3年生の学レクが終わって、女子のダンス。

本番のほぼ1週間前に構想を練り直したダンスも、予行演習のときにはしっかりした形になっていて、学生と先生が一丸となればできないことはないんだなぁとしみじみ感心した。


そして、男子にとっては体育祭のメインイベントがやってくる。


組立て体操。

太鼓の音が合図となって全学年の男子がグラウンドを駆ける。

僕は自分がグランドに立っていた中3時代の自分の体育祭を思い出しながらその組立て体操を見ていた。

組立て体操の最後に4重の塔というのがある。
土台が何人もいて、その上に4,5人いて、そのまた上にも3人いて、てっぺんにひとり。塔を構成するメンバー以外は、塔を作り上げるための補助にまわる。毎年けが人が出るようなこの4重の塔を完成させることが、体育祭成功の鍵を握っていると言っても過言ではないと僕は思っている。
今年も学生たちはその4重の塔に挑戦する。

応援席から見つめる女子や、放送席や休憩席のあるテントから見守る先生たちが固唾をのんで見つめるなか、下の段から順々に立ち上がり塔が出来上がっていく。
しかし、1回目は立ち上げに失敗。
真ん中のメンバーがぐらついてうまく立ち上がれなかった。
2回目も失敗。
なかなかうまくいかない。

そのとき、僕の頭の中にある出来事がよみがえった。

中学最後の体育祭。
あれは本番当日のことだった。
僕は4重の塔で上から2段目だったと思う。
確か1度か2度失敗して、3度目に塔が完成した。
グラウンドに拍手が巻き起こって、塔を構成しているメンバーも安堵の表情を浮かべていた。
完成した後、上の段から一段ずつかがんで塔が小さくなっていく。
そして塔の一番上に乗っていたゆうじがてっぺんから降りた。
その後、今度は上から2段目の僕らが降りる番。
同じ段の二人と手を放して下に降りようとしたとき、僕はバランスを崩した。後ろに補助のメンバーがいるかどうかもわからないまま、僕は後頭部から真後ろに地面に向かって転落した。
「頭打って死ぬ」と思った。
そういうときって意外と冷静に物事を考えられるもので「あ、しまった」って普通に考えられた。

と思っていると、誰かが僕のことを地面に打ち付けられる前に受け止めてくれた。

小学校のときから仲良くしてくれてる親友だった。

奇跡だと思った。
心の中でかなり感謝した。

きくと、僕が落ちる瞬間をタイミングよく見ていてくれたらしい。

本当に助かったと思った。
こいつがいなかったら僕は今頃後頭部強打で脳内出血を起こして病院で息を引き取っていたにちがいないとさえ思った。大げさに言えば。


このときのことを入れると、僕は2回死に損ねている。
僕は簡単には死ねない。
死にたくても死ねない、とかじゃなくて、もしこの先自分の命が危うくなることがあったとしても、簡単に自分の命をあきらめてはいけないという使命感があるということ。


そんな奇跡的な体験を思い出していた。


いや、あれは奇跡じゃなくて必然だったのかもしれない。
僕が後ろに落ちそうになったのも、そこにあの親友がいたことも…。



頭の中の回想に浸っているうちに、ぼやける視界の目の前で4重の塔は立ち上がっていた。

過去の回想といま目の前にある塔と、まだ予行なのにも関わらず湧き上がる歓声に圧倒され、また涙が出ていた。

泣き虫もほどほどにしてほしい。


そうして予行演習は無事に幕を下ろした。
僕はその後母親からの電話に気付き急いで家に帰り、昼ごはんを食べてから渡米の準備に追われた。


いろんなことを思い出した1日だった。
心の中では新しいことも発見したような気がする。
予行演習に参加させてもらうことで、自分との対話をもつ時間になったし、やっぱり中学での経験はかけがえのないものだったんだと改めて実感した。

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桂中に入学したからいまの僕がある。
桂中で出会った仲間や先生がいるからいまの僕がいる。
嬉しいこと楽しいこと、悲しいことつらいこと、すべてをひっくるめて、本当に素晴らしい中学生時代を過ごした。



やっぱり僕は桂中が好きだ。


渡米前にそんなことを心いっぱいに感じたその翌日、僕は日本を旅立ちました。

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