私がすべきだったこと
結局のところ私がしなければならなかったことはいたって単純なことであった。「差別について考えるきっかけ」を作りさえすればよかったのだ。というのも、話している私と私の話を聞いてくれている人との間に、社会であびこっている差別事象や人権についての知識の差はそれほどなかった。こと私自身においては、いくら勉強したところで、中学生の私に差別事象や人権について、人に自論を語るなんてことは不可能だった。 第一に、日本社会でおこった差別事件や身近なところではびこっている差別事象についての知識が少なすぎた。先人がどのように部落差別と闘ってきたのか、どのような解決策をとってきたのかをあまり熱心に勉強しなかった。少なくとも実際におこった出来事やその事象がどう対処されたのかくらいは知っているべきだったに違いない。しかし、私は人から話を聞く以外に、自ら部落差別についての本を手にとったりすることはしなかったのだ。 第二に、いくら知識があったところで、私が他人に自論を説くような明快に自論を展開するような余裕はなかった。専門知識がない上に予備知識もない状態で、どうやって人に自論を説こうか。所詮、中学時代の私の浅い思考では自分自身の考えを確立するにも至らない。見た目も中身も、まだまだ未熟な青二才だったに違いない。そんな状態で人に自論をひけらかすなど、恥さらしに過ぎない。ところが、当時の僕は人に自分の意見を語ることは自論を説くことを意味していると解釈していた。誰かに対して自分の意見を言うときは、自分の解釈を一通り相手に伝えるのが当たり前だった。それは相手に自分の意見を押し付けるような話し方であったと思う。 ひとこと断っておくと、私は自分が至らない存在であることを承知の上で自論をひけらかしていた。基本的に、学校の教員や地域のオトナたちは、十代前半もしくは十代半ばの学生にそれほどしっかりした意見を期待してはいない。むしろ、学生がどのように考えるのか、各個人の率直な意見こそが、彼らの知りたいところだったのだと思う。さらに、私自身を擁護した言い方をすれば、私は自分の将来のために積極的に自分の意見を言うようにしていた。自分の意見を自分の思っているとおりにはっきりと言える人間にならなければ、近い将来社会に出て働き始めたときに苦労すると子供ながらに判断したからだ。そのこともあって、私は自分の意見を積極的に言うようにしていた。ところが、悪いことに、そのことが自論を他人に押し付けるような私の悪い癖を形成していったのだ。 私が本当にしなければならなかったことは、「聞き手に考えさせること」だったのだと思う。私が一方的に話すのではなく、私の意見をある程度述べた後、あとは聞き手の意見を聞かせてもらう。部落差別について学んだり考えたりするきっかけを作るのが私の使命だった。私の知識を植え付けたところで、聞き手は何も学べない。むしろ不必要な私自身の見解を押し付けてしまうことになる。変な固定観念を植え付ける可能性さえある。それほどのリスクを背負ってまで、私は自論を説こうとは思わない。しかし少なくとも、中学・高校時代の私は、俺の意見が正しいのだから、みんな俺の話を聞け、という気持ちで聞き手に話しかけていたのかもしれないのだ。間違っていたと思う。 話を展開させていくうちに、自分の世界に聞き手をうまく引き込む話し手がいる。大きな講演会を持つような著名な人に限らず、日常で出会うような身近な人でさえ、驚かされるほど自分の話に引き込むのが上手な人がいる。彼らに共通して言えることは、自分の話をしたあと、相手の意見をしっかりと聞くところにある。自論だけではなく、相手の意見が加わった「会話」そのものが、彼らの「話し方」となるのだ。聞き手からしてみれば、自分も話題の中心にいるようで、会話にも力が入る。彼らのような話し方は、聞き手を話題に集中させる効果があるのだ。もちろん、彼らの自論がしっかり構築されていることも大前提としてある。自分の話の筋を通し、ぶれないように話を進めていく。絶妙なタイミングで聞き手が自然と質問をし、それに答えつつ話を次へと進める。これの繰り返し、つまり「会話」が彼らの技である。 話し手がいて、聞き手がいる。一見、話し手から聞き手への一方通行の会話になりそうであるが、それではお説教をしているにすぎない。会話を技術として、誰かに自論を説く。前述の自分の世界に聞き手を引き込む技である。これができれば、自論を押し付けるだけに留まらず、伝えたいことと考えてほしいことが一挙に伝わるはずである。かなり有意義な会話となるだろう。そのためには、会話中の相手との適切な距離感や相手に心を開いてもらえるような安心感を与える雰囲気を作ることが必要不可欠である。ただ、この技は一朝一夕で見につくようなものではない。時間をかけてたくさん経験を積むことによってのみ体得できるものだと考える。最終的には自分がほとんど話さなくとも、相手の意見を引き出すことのみで会話が成立するようにすることが目標となるといえる。常に相手の頭をフル回転させるような会話に持ち込むのだ。かなりの高等技術と経験が必要と思われるが、私が目指すところはそこである。
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