日記・コラム・つぶやき

2009年10月29日 (木)

子煩悩な親

子どもが欲しいです。

嫁さんとか結婚とかには一切興味がないけど、自分の子どもが欲しいです。

アメリカに来てからお人形さんみたいな子どもたちをたくさん見かけるのですが、本当にフランス人形みたいな子ばっかりですね。みんなアメリカ人やけど。

みんなかわいいです。というか美しいです。完成系です。

けど僕が欲しいのは日本男児なのでフランス人形には興味はないです(-ω-)笑

やんちゃな男の子を育てたいんです。

嫁さんとかめんどくさいなぁって感じてしまうから実現までにはほど遠いんですけど。

だからシングルファーザーに少なからず憧れを感じるんですよね~。

ただ誰も共感してくれません(>∀<)

自分で子どもが生めたら誰にも迷惑かけへんねんけどな。笑

---

なんでこんなに子どもの話をするかというと…

今年で24歳になる兄貴に10月に第二子が生まれてそれが男の子なんですよね。第一子は女の子だったんですが、女の子ってあんまりお世話したりするのは気が引けるんです(>_<)なんか抱いてるときに壁に足とかぶつけたらどうしよとかいろいろ考えてしまって。笑

だから若干敬遠してる感じだったんですが、今回男の子が生まれたということで、早く大阪に帰って抱いたり話しかけたりオシメ換えたりなんなら育ててあげるよっていうくらいの勢いで会うのを楽しみにしてるんです。

それを考えてたらもう自分の子どもが欲しくなってしまった、と。

---

僕が変態と言われる理由はこんなところにあるんですよね。

まぁ否定しません♪♪

僕は「変態」と言われて嬉しいと感じる生き物ですから。

変わってますよね~。

とりあえず早く帰って甥っ子をひと目見てみたいな~☆

なんか自分の子どもが生まれたみたいな錯覚に陥ってますね。

病気やな☆笑

まだ2,3ヶ月は会われへんけどな(-3-)

将来ほんまに自分の子どもが生まれたらかなりの子煩悩パパになりそうな気がします♪

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年10月11日 (日)

「日本の大学生」

およそ半年後に就職活動を控えている今日この頃。

就職するために必要な専門的知識と、それとはまた別で要求される社会人としての常識力や落ち着き、意見の発信能力や積極性といった種々の能力を向上させるためのなんらかの訓練が必要なのはわかっているはずなのに、僕を含めた操縦学専攻のメンバーは誰もそれを集団として実行しようとはしない。

一般的に、日本の大学生は遊んでばかりで、大学在学中に勉強にすべてを打ち込む学生なんて皆無といわれている。言い換えれば、勉強以外のところでエネルギーを使う傾向が強い。大学生のほとんどは、ただ大学に在学しているだけで、部活で言うところの幽霊部員に近い存在になっていると言っても過言ではない。

しかし、勉強以外のところにエネルギーを注ぎ込んでいるのが悪いというわけではない。

実際のところ、大学の教育が「教員が教える」というよりは「学生が学ぶ」という環境にあるのは、学生が大学の勉強だけでなく、自分の生活に密接する地域のおけるボランティア活動や、地域活性のための活動などに積極的に参加できるようにするためのものである。ほとんどの場合は大学のカリキュラムというのはある程度余裕をもっており、学生の活動の範囲を広げるためには最適の環境であると言える。

アルバイトなども学生が良い経験を得られる活動のひとつで、いろいろな職種を実際に体験したり、職場の雰囲気や「働くとはどういうことか」ということを身をもって体験することができる。

「大学生活は人生の夏休みだ」

と言ったのは僕の知り合いの中学教員だが、確かにアルバイトをしてサークル活動もして飲み会をたまに開いていろいろな友人といろいろな話をして、卒業時に必要とされる最低限の単位さえとっていれば、大学生活を十分に謳歌したといえるだろう。

ところが、現実には、その楽しみ方さえ現代の大学生は知らないような気がしてならない。

とにかく「外には出ない」「本気を出さない」タイプの人間が多くなってきているような気がするのだ。

なるべく人と関わらないようにしようという傾向が年々強くなってきているのではないかと心配になる。また「自分はこれを目指すんだ」とか「こんな人間になるんだ」といった目標設定がほとんどなされていないような気がする。

とは言えども、僕自身もまだ大学3年生なので、最近の大学事情をそれほど熟知しているというわけではない。ただ、そんな僕でも心配になるのだから、日本の将来はかなり危ういのではないか、とそう感じるのだ。

方や、わが操縦学専攻を見てみると・・・。

状況は大して変わらない。

変わることがあるとすれば、自分にいま要求されている勉強のレベルに達する努力を怠らないことぐらいだろうと思う。頻繁に実施される試験の基準点に達する努力を怠らないということだ。

目標が同じなのは確かだが、「切磋琢磨」といった感じではない。

各自が淡々と自分の仕事をこなしている、退屈なオフィスのような感じだ。

勤務時間の終了時間になれば「お先に失礼します」の言葉もなしに荷物をまとめて帰ってしまう。中には進んで残業をするものもいるが、それを横目に「アイツよくがんばってるね~なんであんなにがんばるのかがよくわからん」と冷たくあしらう同僚もいる。

そんな感じじゃないだろうか。

前述の「一般的に言われる日本の大学生」と、わが操縦学専攻の人間に共通して言えることは、「成長する意欲が弱いこと」ではないだろうか。

ある試験の点数が前回とった点数よりよければ、それを成長と言うことはできるかもしれないが、僕が述べたいのは、勉強や試験の点数だけでは測れない形のはっきりしない「成長」のことだ。

数人の前で話をするときに緊張せずに堂々と話せるようになりたい

どんなタイプの人とも、自分らしさをうまく出しながら協力しあえるような我慢強さと協調性を身に着けたい

そういった漠然とした目標を掲げて、その理想に向かって努力し、成長する喜びを得たいと思えるかどうか、それが大切だと思うのである。

僕自身は、かなり自分の成長に対する願望が強い方だと思うが、いま現在その成長のための活動はほとんど何もできていない。いま自分のおかれた環境が、自分の考える成長のための活動をする場所として適当ではないからだ。逆に考えれば、僕は自分の都合のいいように成長しようとしているだけなのかもしれない。つまり自分がいまもっている能力をさらに引き出して成長させようとしているだけなのかもしれないということだ。

すでに自分のもっている能力をさらに成長させるというのは、一見かなり良いことのように聞こえるが、そうではないこともある。自分の活動の範囲が制限される場所で「自分はこれ以上成長できない」と見切りをつけて成長を止めてしまう可能性を秘めているからだ。

いま自分の置かれた環境で、いかに成長するかを柔軟に考えていかなければならない。

それができないのだから、この記事を書いているこの僕も、紛れもない「一般的な日本の大学生」の一部であり、自分の成長に対して鈍感で脆弱な自己の持ち主なのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月30日 (水)

個人の性格/有能なリーダー

自分の意見がしっかりしている人と、自分勝手な人は違う。

自分の意見がしっかりしている人は自分の意見を押し付けようとはしないし、どんなことを言われようとも自分の考え方や態度を簡単には変えない。

それに対し、自分勝手な人は自分の意見を強行的に通そうとする傾向にあり、論議が進んでいない段階でも自分の考えを変えやすい。

これはそんなに差がないと思うんやけど・・・。

自分の意見がしっかりしている人と、自分の意見を絶対に曲げない人の差がわからない。

強いて言うなら、自分の意見がしっかりしている人は、自分で調べ上げた確固たる根拠に基づいた意見を持っている。だから自分の調べ上げた根拠を超える証明が存在した場合は自分の意見の軌道修正をする可能性を秘めている。自分の損得感情に左右されることなく、常に集団にとって常に前向きに作用しようと努める。

自分の意見を絶対に曲げない人とは、自分が調べたかどうかに関係なく、一度「こうだ」と決めればもう意見を変えないような人のことをいう。

論議の上で勝ち負けを決めようとするか否か、がこのふたつのタイプの分かれ目なんだろうか。

僕はいっつも「自分勝手」とか「話したがり」とか「頑固」とか言われるんですが・・・なんでそう言われるのか理解できない。

まわりの人と比べると確かに自分勝手で話したがりで頑固やと思う。

自分の意見を聞いてほしい、もし使えるものだったら使ってほしい、っていう気持ちが強いから、積極的に意見を述べてしまう。それが自分勝手だと言われるんなら、何も言わずに納得。

頑固だ、って言われるのも、僕は最後まで自分の意見にこだわりを持つし、それが自分が調べて確証を得た意見であればあるほど大切にしたいって思う。だから頑固って言われるのもしょうがないと思う。

けど、僕が「自分勝手」「話したがり」「頑固」とかっていうレッテルを貼られてるのには、日常生活の周りに対しての相対的な評価が根源にあると思ってる。

僕のまわりにそこまで自分の意見を主張する人がいないから、相対的に自分勝手で頑固だと言われるのだと思う。(そこが間違ってたらまたこれは大問題なんやけど・・・w)

根本的な問題として、僕の周りには意見交換を積極的に行おうという態度の人はあまりいない。意見交換はおろそか、あまり他人の考えに干渉しないようにしようと努めている人さえいるように感じてならない。

でもそんな周りに対して「意見を言ってほしい」と言ったところで返ってくる答えはだいたい決まって「いいよね、君は意見が言えるほど我が強くて」とか「特に何も考えてないし」とか、「どう考えるか」以前の問題が浮き彫りになる。

小学校時代から「意見を述べることは大切なことだ」と自分に言い聞かせながら今日までやってきた僕にとっては、かなり辛い。高校時代、大学時代と年齢を重ねるごとに、周囲のみんながどんどん人間として出来上がっていって、「自分が干渉されたらいやだから他人に干渉しないようにしよう」「みんなが気持ちよく過ごせるように当たり障りのない態度をとろう」と本音の議論を避けようとしているように感じる。

日常生活で他人に干渉しすぎるのはもちろんタブーだと思う。けど、それを議論の場に持ち込んではいけない。議論に感情を持ち込んでしまえば冷静さを欠いたただの口げんかになってしまう。

僕の周りの集団だけなのかもしれないけど、自分の意見をしっかり持とうと考える人は少ない。積極性をもった人はほぼ皆無に近い。

いや、そうじゃなくて、自分の意見は持ってるししっかりしてるけど、話を振ってもらわない限り周りに伝えようとしないタイプの人が多すぎる気がする。話の途中で邪魔が入ったり自分の述べた意見に反対意見が出ればすぐに気分を害して話さなくなったりすることもしばしば。論議というよりはむしろ、相性が合うか合わないかの整合調査みたいなもん。

有能なリーダーっていうのは自己主張することなく、まんべんなく意見を引き出してそれぞれの能力を最大限に生かすことができるらしい。自分から意見を言おうとする人だけでなく、良い意見を秘めた口数の少ないメンバーからも意見をうまく引き出して、議論を進めるんだろうなぁ。そういう人が会社のトップに立ったりするんだろうと思う。

僕はそういうリーダーを目指したいんやけど、今のところどうしたらいいものかまったく検討がつきませんわ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月29日 (火)

ブログって・・・

ブログって継続して書き続けるのがけっこう難しい(-ω-)

何を書いたらいいのかわからん。

アメリカに来て1年経った。

もうすぐ一学年下の2グループ目の後輩たちが渡米してくるけど、僕がアメリカに来て変わったことと言えば、「安全な着陸ができるようになった」くらいしかない。後輩に誇れることってそんなにないんやなぁってかなり思う。

飛行機の操縦というのは、空を飛んでるときは簡単。

もちろん高度維持やしなやかな操縦なんかの話をし始めたら難しいのは確実やけど、飛ぶのを楽しむだけならそんなに難しいって感じることはないと思う。

どこが難しいって感じるかというと・・・

地上から離れるときと、地上へと帰るとき。つまり「離着陸」。

航空機事故のほとんどは離着陸時におけるものなんだそうだ。

なぜ離着陸時の事故が多いのか、それはは実際に飛行機を操縦すると本当によくわかる。

ただ、僕の場合、飛行機を飛ばす訓練を始めたばっかりの時期はまったくわからなかった。逆に「なんでこんな簡単やのに事故がおこるんやろう」って思っていたくらい。

けど訓練が進むなか、いつ事故が起こりやすいかを身をもって体験するにつれてわかるようになってきた。

空中での誤操作は致命的な事故には至らないけど、離着陸時の誤操作は命に関わる事故へと発展する可能性がかなり高い。

訓練初期の段階ではそういった事故に対する感度がかなり低かったんだと思う。危機管理能力を培うのも、飛行訓練の中のひとつなんだと最近感じる。

訓練って何を学ぶかをわかっていないと、本当にただのお金の無駄遣いにしかならない。

誰も教えてくれないから自分で学ぶしかない。

その代わり、得られるものはかなり大きい。

誰かに教えてもらうよりも自分で学んだ方が身に付くことが多い。

パイロットは大空を相手に仕事をしている。

大空というよりは、大自然すべてを相手に。

常に自然の驚異に怯えながら知恵を振り絞って、神経をすり減らしながら、お客様をある地点から別の地点へ運ぶ。

それを考えると、このアメリカでの訓練を無駄にはできない。

初等訓練と言えども、パイロットとしての第一歩をすでに1年前に踏み出している。

いや、大学に入った時点で僕のパイロットとしての人生はすでに始まっていたのかもしれない。

それなのに「後輩に誇ることは何もない」なんて言ってたら、もうパイロット人生も終わってるな、って思う。

もう少し自分に厳しく生活せな、あきまへんな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月17日 (火)

体育祭予行演習2008

18700085_1581870817

-僕が涙を流したのは
 彼らのひたむきに頑張る姿が
 ただ美しいと思ったからじゃない。

 その裏側が見えたような気がしたから。

 目の前にいる彼らの姿と
 中学時代の自分とを
 重ね合わせて見ていたから-



…僕が海外に身を移す前のこと…



夏が名残惜しそうに暑さを残しつつ、自分の居場所を秋へ譲り渡そうとしていたころ。

9月のはじめ、秋がはじまろうとしていた。

久しぶりにゆっくり地元にもどってきたから、何かしたくて出身中学に足を運んだ。僕が何のアポもなく急に中学を訪れても、先生たちは一切驚かない。3ヶ月に一度は、ほぼ必ず出現するから。笑

いつものように中学の校門を通り、職員室へと向かう。
僕はいつも落ち着いた気持ちで廊下を歩く。
廊下ってなんか落ち着く。
セメント造りの廊下はひんやりとしてて、少し薄暗くて、心を落ち着かせる効果があるんじゃないか、って思う。
1年に何度も訪れる場所も、どことなく懐かしさを帯びるものだと改めて感じた。

9月のはじめ、中学では体育祭のための準備が行われる。
体育祭の進行や係りの割り振りやいろいろな競技種目の出場の振り分け、各競技の練習などをする。

朝からクラスのみんなで集まって練習をすることもある。
通称「学レク」と呼ばれる学年別クラス対抗の競技があって、それで好成績を収めるためだ。クラス一丸となって勝利を勝ち取る。僕らが3年生のときの学レクはたしか30人31脚。はっきりした数は忘れたけど、2人3脚のクラス全員バージョン。朝からみんな揃って練習したもんだ。僕らのクラスは練習のときに一度もほかのクラスに勝ったことがなかったのに、本番当日で1着になるという奇跡を起こした。いま思い返せば、あれは誰一人あきらめずみんなで朝はやく集まって何度も練習した成果だと思う。涙が出そうなくらい嬉しかった。

今年の体育祭もその学レクが熱い競技となることは間違いないが、体育祭といえば女子のダンスと、男子の組立て体操がほぼ体育祭のメイン競技になるといえる。

体育祭の日が近づけば、それらの練習も本格的に始まる。

この秋に僕がはじめて中学を訪れたときは、体育祭に向けての準備は着実に進んでいるとはとても言えない状況だった。生徒同士でのいざこざがあったり、体育祭で踊るダンスの構想をゼロから作り直したいと女子生徒が言い始めたり、体育祭に集中したい時期にもかかわらず先生の頭を悩ませることがいっぱいあって、物事が前に進まない状態だった。先生や生徒にとっては、そういう経験ものちのちになってからいい経験として思い出されるのは間違いない。しかし体育祭の日程は動かせない。先生が焦っているのを察して、生徒の中にも焦りを見せ始める子がたくさんいた。

そんなバタバタした状態だった。


そんな中学を何度か訪れた。
そのうちに「体育祭見てから渡米したいなぁ」なんて思うようになっていった。
しかし日程的な問題で、僕は体育祭本番は見られないことがわかった。
確か体育祭本番は、僕が渡米する日の次の日かその次の日だったと思う。
本当は文化祭も見たかったけど、文化祭は10月に入ってからだということを知っていたので、僕はハナっから文化祭を見れることなんて期待してなかった。

そうして、体育祭も文化祭も見られないことに気付いてうなだれている僕を見て「体育祭の予行手伝ってくれたら嬉しいんやけど」と声をかけてくれたのは、僕のかつての担任の先生だった。

それが体育祭の予行演習前日のことだった。
つまり、僕が渡米するほんの2,3日前のこと。

僕は間髪をいれず先生に返事をした。
「手伝ってもいいよ」に「…人手が足りひんのやったら」という照れ隠しの言葉を添えて。


そうして迎えた体育祭の予行演習当日。
僕にとっては体育祭当日のようなもの。

空は少し雲があった。カンカン照りじゃないのがなんかもったいないと思ってしまうところだが、予行中ずっと外にいる先生や学生たちのことを考えると、ちょうどいいくらいだ。
本番当日、学生たちの熱いまなざしの上に太陽が顔をのぞかせてくれればそれでいい。

いろいろな種目の進行を確認しながらプログラムが次々と進められていく。もちろん、100m走などははじめの一列が走って、あとは全員塊になってゴールテープまで走って時間を省く。予行は各競技の進行を確認するためのものだから。

ただ、種目によっては本番と同じように行われるものもある。
学レクやリレー、ダンスに組立て体操がそうだ。

プログラムも終わりに近づいた頃、3年生の学レクが始まった。
僕らのときと同じ、30人31脚だった。
予行演習にも関わらず、誰一人として手を抜くやつはいない。そんなことをすればたちまちクラスの和が乱れ、勝利への道が閉ざされてしまうことをみんな知っているから。
そんな中3のみんなのがんばる姿を見ていると、胸に込み上げてくるものがあった。かつて自分たちがそうであったように、彼らにも彼らの学年全体の苦しみや悲しみがあったに違いない。嬉しいことや楽しいこともたくさんあったと思う。そんな経験をともにしてきた仲間と力を合わせて、今まで築き上げてきた絆の強さをこの体育祭で見せ付ける。それまで仲間と共有してきた時間の素晴らしさや尊さをかみ締める始める瞬間は、この中学最後の体育祭なのかもしれない、って勝手に思った。
気付かないうちに涙が溢れ出して、とまらなくなった。
みんな前を向いて必死になって走って、誰かひとりが転んでそこから乱れが広がっていき、進めなくなってしまう。転んでしまったところから再スタートするにしても、みんなの動きに焦りが見える。「もうダメかもしれへん」という気持ちと「まだあきらめたらあかん」というふたつの気持ちがチームの中に見えはじめた。しかし誰もあきらめず、ひとりも取りこぼさずにゴールを目指す。僕らが中学生のときに目指していたものはこれだったんじゃないかって改めて思って、当時の自分の不甲斐なさを感じて、胸が締め付けられる思いがした。いろいろなことがあったけど、それでも前を向いてとにかく前に進もうとしていた中学時代。もっといろんなやつと関わっていたかった。中3のときに感じた僕の心の満たされない感情は、それだったのかもしれない。そう思うと涙が止まらなかった。恥ずかしかったけど、顔がぐしゃぐしゃになるくらい泣いた。

中1よりも中2、中2よりも中3のほうが、一瞬一瞬にかける気持ちは強い。この予行演習も彼らにとってはかけがえのない一瞬として心に刻まれる。そのことに薄々気付き始める子が桂中の3年生にはたくさんいたように思えた。

あの日、僕らが奇跡的な勝利を手に入れたときと同じように、ひとりひとりの努力が勝利へとつながり、ともに歩んできたクラスの仲間との努力はいつまでも心の中に輝きとして残りつづけることを、彼らにもこの体育祭で感じて欲しいと願った。

3年生の学レクが終わって、女子のダンス。

本番のほぼ1週間前に構想を練り直したダンスも、予行演習のときにはしっかりした形になっていて、学生と先生が一丸となればできないことはないんだなぁとしみじみ感心した。


そして、男子にとっては体育祭のメインイベントがやってくる。


組立て体操。

太鼓の音が合図となって全学年の男子がグラウンドを駆ける。

僕は自分がグランドに立っていた中3時代の自分の体育祭を思い出しながらその組立て体操を見ていた。

組立て体操の最後に4重の塔というのがある。
土台が何人もいて、その上に4,5人いて、そのまた上にも3人いて、てっぺんにひとり。塔を構成するメンバー以外は、塔を作り上げるための補助にまわる。毎年けが人が出るようなこの4重の塔を完成させることが、体育祭成功の鍵を握っていると言っても過言ではないと僕は思っている。
今年も学生たちはその4重の塔に挑戦する。

応援席から見つめる女子や、放送席や休憩席のあるテントから見守る先生たちが固唾をのんで見つめるなか、下の段から順々に立ち上がり塔が出来上がっていく。
しかし、1回目は立ち上げに失敗。
真ん中のメンバーがぐらついてうまく立ち上がれなかった。
2回目も失敗。
なかなかうまくいかない。

そのとき、僕の頭の中にある出来事がよみがえった。

中学最後の体育祭。
あれは本番当日のことだった。
僕は4重の塔で上から2段目だったと思う。
確か1度か2度失敗して、3度目に塔が完成した。
グラウンドに拍手が巻き起こって、塔を構成しているメンバーも安堵の表情を浮かべていた。
完成した後、上の段から一段ずつかがんで塔が小さくなっていく。
そして塔の一番上に乗っていたゆうじがてっぺんから降りた。
その後、今度は上から2段目の僕らが降りる番。
同じ段の二人と手を放して下に降りようとしたとき、僕はバランスを崩した。後ろに補助のメンバーがいるかどうかもわからないまま、僕は後頭部から真後ろに地面に向かって転落した。
「頭打って死ぬ」と思った。
そういうときって意外と冷静に物事を考えられるもので「あ、しまった」って普通に考えられた。

と思っていると、誰かが僕のことを地面に打ち付けられる前に受け止めてくれた。

小学校のときから仲良くしてくれてる親友だった。

奇跡だと思った。
心の中でかなり感謝した。

きくと、僕が落ちる瞬間をタイミングよく見ていてくれたらしい。

本当に助かったと思った。
こいつがいなかったら僕は今頃後頭部強打で脳内出血を起こして病院で息を引き取っていたにちがいないとさえ思った。大げさに言えば。


このときのことを入れると、僕は2回死に損ねている。
僕は簡単には死ねない。
死にたくても死ねない、とかじゃなくて、もしこの先自分の命が危うくなることがあったとしても、簡単に自分の命をあきらめてはいけないという使命感があるということ。


そんな奇跡的な体験を思い出していた。


いや、あれは奇跡じゃなくて必然だったのかもしれない。
僕が後ろに落ちそうになったのも、そこにあの親友がいたことも…。



頭の中の回想に浸っているうちに、ぼやける視界の目の前で4重の塔は立ち上がっていた。

過去の回想といま目の前にある塔と、まだ予行なのにも関わらず湧き上がる歓声に圧倒され、また涙が出ていた。

泣き虫もほどほどにしてほしい。


そうして予行演習は無事に幕を下ろした。
僕はその後母親からの電話に気付き急いで家に帰り、昼ごはんを食べてから渡米の準備に追われた。


いろんなことを思い出した1日だった。
心の中では新しいことも発見したような気がする。
予行演習に参加させてもらうことで、自分との対話をもつ時間になったし、やっぱり中学での経験はかけがえのないものだったんだと改めて実感した。

11929312_464904675

桂中に入学したからいまの僕がある。
桂中で出会った仲間や先生がいるからいまの僕がいる。
嬉しいこと楽しいこと、悲しいことつらいこと、すべてをひっくるめて、本当に素晴らしい中学生時代を過ごした。



やっぱり僕は桂中が好きだ。


渡米前にそんなことを心いっぱいに感じたその翌日、僕は日本を旅立ちました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月31日 (水)

私がすべきだったこと

結局のところ私がしなければならなかったことはいたって単純なことであった。「差別について考えるきっかけ」を作りさえすればよかったのだ。というのも、話している私と私の話を聞いてくれている人との間に、社会であびこっている差別事象や人権についての知識の差はそれほどなかった。こと私自身においては、いくら勉強したところで、中学生の私に差別事象や人権について、人に自論を語るなんてことは不可能だった。

第一に、日本社会でおこった差別事件や身近なところではびこっている差別事象についての知識が少なすぎた。先人がどのように部落差別と闘ってきたのか、どのような解決策をとってきたのかをあまり熱心に勉強しなかった。少なくとも実際におこった出来事やその事象がどう対処されたのかくらいは知っているべきだったに違いない。しかし、私は人から話を聞く以外に、自ら部落差別についての本を手にとったりすることはしなかったのだ。

第二に、いくら知識があったところで、私が他人に自論を説くような明快に自論を展開するような余裕はなかった。専門知識がない上に予備知識もない状態で、どうやって人に自論を説こうか。所詮、中学時代の私の浅い思考では自分自身の考えを確立するにも至らない。見た目も中身も、まだまだ未熟な青二才だったに違いない。そんな状態で人に自論をひけらかすなど、恥さらしに過ぎない。ところが、当時の僕は人に自分の意見を語ることは自論を説くことを意味していると解釈していた。誰かに対して自分の意見を言うときは、自分の解釈を一通り相手に伝えるのが当たり前だった。それは相手に自分の意見を押し付けるような話し方であったと思う。

ひとこと断っておくと、私は自分が至らない存在であることを承知の上で自論をひけらかしていた。基本的に、学校の教員や地域のオトナたちは、十代前半もしくは十代半ばの学生にそれほどしっかりした意見を期待してはいない。むしろ、学生がどのように考えるのか、各個人の率直な意見こそが、彼らの知りたいところだったのだと思う。さらに、私自身を擁護した言い方をすれば、私は自分の将来のために積極的に自分の意見を言うようにしていた。自分の意見を自分の思っているとおりにはっきりと言える人間にならなければ、近い将来社会に出て働き始めたときに苦労すると子供ながらに判断したからだ。そのこともあって、私は自分の意見を積極的に言うようにしていた。ところが、悪いことに、そのことが自論を他人に押し付けるような私の悪い癖を形成していったのだ。

私が本当にしなければならなかったことは、「聞き手に考えさせること」だったのだと思う。私が一方的に話すのではなく、私の意見をある程度述べた後、あとは聞き手の意見を聞かせてもらう。部落差別について学んだり考えたりするきっかけを作るのが私の使命だった。私の知識を植え付けたところで、聞き手は何も学べない。むしろ不必要な私自身の見解を押し付けてしまうことになる。変な固定観念を植え付ける可能性さえある。それほどのリスクを背負ってまで、私は自論を説こうとは思わない。しかし少なくとも、中学・高校時代の私は、俺の意見が正しいのだから、みんな俺の話を聞け、という気持ちで聞き手に話しかけていたのかもしれないのだ。間違っていたと思う。

話を展開させていくうちに、自分の世界に聞き手をうまく引き込む話し手がいる。大きな講演会を持つような著名な人に限らず、日常で出会うような身近な人でさえ、驚かされるほど自分の話に引き込むのが上手な人がいる。彼らに共通して言えることは、自分の話をしたあと、相手の意見をしっかりと聞くところにある。自論だけではなく、相手の意見が加わった「会話」そのものが、彼らの「話し方」となるのだ。聞き手からしてみれば、自分も話題の中心にいるようで、会話にも力が入る。彼らのような話し方は、聞き手を話題に集中させる効果があるのだ。もちろん、彼らの自論がしっかり構築されていることも大前提としてある。自分の話の筋を通し、ぶれないように話を進めていく。絶妙なタイミングで聞き手が自然と質問をし、それに答えつつ話を次へと進める。これの繰り返し、つまり「会話」が彼らの技である。

話し手がいて、聞き手がいる。一見、話し手から聞き手への一方通行の会話になりそうであるが、それではお説教をしているにすぎない。会話を技術として、誰かに自論を説く。前述の自分の世界に聞き手を引き込む技である。これができれば、自論を押し付けるだけに留まらず、伝えたいことと考えてほしいことが一挙に伝わるはずである。かなり有意義な会話となるだろう。そのためには、会話中の相手との適切な距離感や相手に心を開いてもらえるような安心感を与える雰囲気を作ることが必要不可欠である。ただ、この技は一朝一夕で見につくようなものではない。時間をかけてたくさん経験を積むことによってのみ体得できるものだと考える。最終的には自分がほとんど話さなくとも、相手の意見を引き出すことのみで会話が成立するようにすることが目標となるといえる。常に相手の頭をフル回転させるような会話に持ち込むのだ。かなりの高等技術と経験が必要と思われるが、私が目指すところはそこである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月14日 (日)

モットー

中学2年生時の僕のモットーといえば

「あなたが微笑みたくない人にも1日5回微笑みましょう」(マザーテレサ・カトリック指導者)

でした。

今も昔も変わらないのですが、僕の性格は物事をはっきりさせたがる性格です。

中学校に入学したばかりの頃の僕は特に、「この人は好き」「この人は嫌い」というふうに人の好き嫌いをはっきりさせていた記憶があります。

しかしあるときふとこんなことを思ったのです。

「なんで人のこと嫌いになるんやろう」

そう思うようになったのとほぼ同時期に、上のマザーテレサの言葉に出会いました。

そこで僕はその言葉に対して素直になることを決めて、毎日嫌いな人に笑顔を見せる努力を絶やさないように心がけました。

まずは挨拶から。

とりあえず毎朝、顔を合わせたら「おはよう」を言うようにしました。

たとえ返事がなくとも、毎朝毎朝、笑顔で。

加えて、1日の中で嫌いな子と接する時間をなるべく多く設けました。

なにしろ1日に5回は微笑まなければなりませんでしたから。

そうすると、1週間もしないうちに、僕の心の中から「あの子が嫌い」という邪念はみるみるうちになくなっていきました。

はじめのうちは「こっとが挨拶してんねんから返事しろや」と思っていましたが、だんだん挨拶をすることが習慣化されていき、微笑むことについても違和感をまったく感じなくなり、いつの間にか自然と挨拶ができるようになったものです。

相手に対する感覚はというと、「相手のことが好きになった」とか、そういうものではありませんでした。

どちらかというと「許す」という表現のほうが合っているような気がします。

僕が人を嫌いになることの前提として、僕が嫌いになる人は僕に対して冷たい人で、言い換えれば僕のことが嫌いなんじゃないかと思えるような態度をとる人がほとんどでした。

僕はそれが許せなかったのです。

これだけ仲良くしようとこちらから迫っているのに、なぜそれに対してもっと友好的な態度がとれないんだ、という怒りというかもどかしさみたいなものを頻繁に感じていました。

「こっちが仲良くしてやってんだからそっちもそれなりに楽しそうにしろよ」という半ば権威的な態度で構えていたのかもしれません。

当時の僕の最大の問題点はそこにあったように思えます。

「自分がこうなんだから、相手もこう。そうじゃなきゃ嫌だ」

という固定観念というか、自分勝手な尺度で世界を測ろうとしていたような気がします。

嫌いな人にも微笑みかけるようになってからは、僕の世界はかなり広がったような気がします。今まで踏み込まなかった世界ともかかわりをもつようになったからです。

もっとも、人を嫌いになることは自分にとってマイナスである、ということはわかっていましたし、何より「あの人嫌い」という意識を持ちながら毎日のように顔を合わせるのはかなりのエネルギーを消費することにつながり、疲れるだけだということも感じていました。

まず、「嫌いな人」というのを定義している時点で、僕の中にはその人が自分に対してマイナスな影響しか与えないと思い込んでいたのですが、それが一番の問題だったのです。

自分に対してマイナスの影響しか与えない人なんていうのは存在しません。

すべての人は僕にプラスの影響を与えます。それが良いものか否かは別として。

「人の振り見て我が振り直せ」

という言葉がありますが、まったくその通りです。

人のことをあぁだこうだと言っているうちは、自分にも至らないところがゴマンとあるんだということを露呈しているに過ぎません。

それと、嫌いな人が嫌いな人となりうる原因のひとつとして、その人を見ていてイライラすること、というのがよくありますが、これはそのイライラする行為を自分自身も同じようにしているからイライラしてしまうのだそうです。

逆転の発想からいくと、嫌いな人の中にこそ僕が改善すべき事柄のヒントが隠されている、ということなのです。

まさしく、人の振り見て我が振り直せ、です。

マザーテレサの言葉を実行することによって、僕の意識が人の好き嫌いの感情を左右することを知りました。好きか嫌いかは、毎日微笑みかけるという行為、つまり僕の意識の持ち方次第でいくらでも変えられるということです。それに加えて、人を嫌いになるということはほとんどの場合、自分にとってマイナスにしかなりません。誰かのことが嫌いになるのであれば、同じように自分のなかに自分が許せない嫌いな要素を含んだ自分がいるのかもしれません。それを受け容れるためには、自分と向き合い、自分を更生させていくか、嫌いな人に微笑みかけて、「許す」しかないのだと、僕は思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記

今回は書きたいことがうまく表現できませんでした。途中話が脱線しかけてその部分を省いたり、書き直したりしているうちに焦点がずれ始めて、最後にむかって文全体がぼやけていったように思えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 8日 (土)

Time flies!

時間がとぶように過ぎていきます。

僕が1日という時間が「短い」と感じるようになったのはいつからなんだろうか・・・(-ω-)

中学のときは時間が少しでもあれば詩書いてピアノに向かって曲つくって、時間を有効活用できてたのに。

なんでやろうと思う今日このごろ。

まぁ愚痴ってもしょうがないのもわかってるんで、前向きにがんばっていこうかなと思います☆

気持ちが折れそうになったときは、輝く未来を想像して、positiveに考えて、aggressiveに行動するべし!

| | コメント (0) | トラックバック (0)