自分さがしの道

2009年10月11日 (日)

「日本の大学生」

およそ半年後に就職活動を控えている今日この頃。

就職するために必要な専門的知識と、それとはまた別で要求される社会人としての常識力や落ち着き、意見の発信能力や積極性といった種々の能力を向上させるためのなんらかの訓練が必要なのはわかっているはずなのに、僕を含めた操縦学専攻のメンバーは誰もそれを集団として実行しようとはしない。

一般的に、日本の大学生は遊んでばかりで、大学在学中に勉強にすべてを打ち込む学生なんて皆無といわれている。言い換えれば、勉強以外のところでエネルギーを使う傾向が強い。大学生のほとんどは、ただ大学に在学しているだけで、部活で言うところの幽霊部員に近い存在になっていると言っても過言ではない。

しかし、勉強以外のところにエネルギーを注ぎ込んでいるのが悪いというわけではない。

実際のところ、大学の教育が「教員が教える」というよりは「学生が学ぶ」という環境にあるのは、学生が大学の勉強だけでなく、自分の生活に密接する地域のおけるボランティア活動や、地域活性のための活動などに積極的に参加できるようにするためのものである。ほとんどの場合は大学のカリキュラムというのはある程度余裕をもっており、学生の活動の範囲を広げるためには最適の環境であると言える。

アルバイトなども学生が良い経験を得られる活動のひとつで、いろいろな職種を実際に体験したり、職場の雰囲気や「働くとはどういうことか」ということを身をもって体験することができる。

「大学生活は人生の夏休みだ」

と言ったのは僕の知り合いの中学教員だが、確かにアルバイトをしてサークル活動もして飲み会をたまに開いていろいろな友人といろいろな話をして、卒業時に必要とされる最低限の単位さえとっていれば、大学生活を十分に謳歌したといえるだろう。

ところが、現実には、その楽しみ方さえ現代の大学生は知らないような気がしてならない。

とにかく「外には出ない」「本気を出さない」タイプの人間が多くなってきているような気がするのだ。

なるべく人と関わらないようにしようという傾向が年々強くなってきているのではないかと心配になる。また「自分はこれを目指すんだ」とか「こんな人間になるんだ」といった目標設定がほとんどなされていないような気がする。

とは言えども、僕自身もまだ大学3年生なので、最近の大学事情をそれほど熟知しているというわけではない。ただ、そんな僕でも心配になるのだから、日本の将来はかなり危ういのではないか、とそう感じるのだ。

方や、わが操縦学専攻を見てみると・・・。

状況は大して変わらない。

変わることがあるとすれば、自分にいま要求されている勉強のレベルに達する努力を怠らないことぐらいだろうと思う。頻繁に実施される試験の基準点に達する努力を怠らないということだ。

目標が同じなのは確かだが、「切磋琢磨」といった感じではない。

各自が淡々と自分の仕事をこなしている、退屈なオフィスのような感じだ。

勤務時間の終了時間になれば「お先に失礼します」の言葉もなしに荷物をまとめて帰ってしまう。中には進んで残業をするものもいるが、それを横目に「アイツよくがんばってるね~なんであんなにがんばるのかがよくわからん」と冷たくあしらう同僚もいる。

そんな感じじゃないだろうか。

前述の「一般的に言われる日本の大学生」と、わが操縦学専攻の人間に共通して言えることは、「成長する意欲が弱いこと」ではないだろうか。

ある試験の点数が前回とった点数よりよければ、それを成長と言うことはできるかもしれないが、僕が述べたいのは、勉強や試験の点数だけでは測れない形のはっきりしない「成長」のことだ。

数人の前で話をするときに緊張せずに堂々と話せるようになりたい

どんなタイプの人とも、自分らしさをうまく出しながら協力しあえるような我慢強さと協調性を身に着けたい

そういった漠然とした目標を掲げて、その理想に向かって努力し、成長する喜びを得たいと思えるかどうか、それが大切だと思うのである。

僕自身は、かなり自分の成長に対する願望が強い方だと思うが、いま現在その成長のための活動はほとんど何もできていない。いま自分のおかれた環境が、自分の考える成長のための活動をする場所として適当ではないからだ。逆に考えれば、僕は自分の都合のいいように成長しようとしているだけなのかもしれない。つまり自分がいまもっている能力をさらに引き出して成長させようとしているだけなのかもしれないということだ。

すでに自分のもっている能力をさらに成長させるというのは、一見かなり良いことのように聞こえるが、そうではないこともある。自分の活動の範囲が制限される場所で「自分はこれ以上成長できない」と見切りをつけて成長を止めてしまう可能性を秘めているからだ。

いま自分の置かれた環境で、いかに成長するかを柔軟に考えていかなければならない。

それができないのだから、この記事を書いているこの僕も、紛れもない「一般的な日本の大学生」の一部であり、自分の成長に対して鈍感で脆弱な自己の持ち主なのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月30日 (水)

個人の性格/有能なリーダー

自分の意見がしっかりしている人と、自分勝手な人は違う。

自分の意見がしっかりしている人は自分の意見を押し付けようとはしないし、どんなことを言われようとも自分の考え方や態度を簡単には変えない。

それに対し、自分勝手な人は自分の意見を強行的に通そうとする傾向にあり、論議が進んでいない段階でも自分の考えを変えやすい。

これはそんなに差がないと思うんやけど・・・。

自分の意見がしっかりしている人と、自分の意見を絶対に曲げない人の差がわからない。

強いて言うなら、自分の意見がしっかりしている人は、自分で調べ上げた確固たる根拠に基づいた意見を持っている。だから自分の調べ上げた根拠を超える証明が存在した場合は自分の意見の軌道修正をする可能性を秘めている。自分の損得感情に左右されることなく、常に集団にとって常に前向きに作用しようと努める。

自分の意見を絶対に曲げない人とは、自分が調べたかどうかに関係なく、一度「こうだ」と決めればもう意見を変えないような人のことをいう。

論議の上で勝ち負けを決めようとするか否か、がこのふたつのタイプの分かれ目なんだろうか。

僕はいっつも「自分勝手」とか「話したがり」とか「頑固」とか言われるんですが・・・なんでそう言われるのか理解できない。

まわりの人と比べると確かに自分勝手で話したがりで頑固やと思う。

自分の意見を聞いてほしい、もし使えるものだったら使ってほしい、っていう気持ちが強いから、積極的に意見を述べてしまう。それが自分勝手だと言われるんなら、何も言わずに納得。

頑固だ、って言われるのも、僕は最後まで自分の意見にこだわりを持つし、それが自分が調べて確証を得た意見であればあるほど大切にしたいって思う。だから頑固って言われるのもしょうがないと思う。

けど、僕が「自分勝手」「話したがり」「頑固」とかっていうレッテルを貼られてるのには、日常生活の周りに対しての相対的な評価が根源にあると思ってる。

僕のまわりにそこまで自分の意見を主張する人がいないから、相対的に自分勝手で頑固だと言われるのだと思う。(そこが間違ってたらまたこれは大問題なんやけど・・・w)

根本的な問題として、僕の周りには意見交換を積極的に行おうという態度の人はあまりいない。意見交換はおろそか、あまり他人の考えに干渉しないようにしようと努めている人さえいるように感じてならない。

でもそんな周りに対して「意見を言ってほしい」と言ったところで返ってくる答えはだいたい決まって「いいよね、君は意見が言えるほど我が強くて」とか「特に何も考えてないし」とか、「どう考えるか」以前の問題が浮き彫りになる。

小学校時代から「意見を述べることは大切なことだ」と自分に言い聞かせながら今日までやってきた僕にとっては、かなり辛い。高校時代、大学時代と年齢を重ねるごとに、周囲のみんながどんどん人間として出来上がっていって、「自分が干渉されたらいやだから他人に干渉しないようにしよう」「みんなが気持ちよく過ごせるように当たり障りのない態度をとろう」と本音の議論を避けようとしているように感じる。

日常生活で他人に干渉しすぎるのはもちろんタブーだと思う。けど、それを議論の場に持ち込んではいけない。議論に感情を持ち込んでしまえば冷静さを欠いたただの口げんかになってしまう。

僕の周りの集団だけなのかもしれないけど、自分の意見をしっかり持とうと考える人は少ない。積極性をもった人はほぼ皆無に近い。

いや、そうじゃなくて、自分の意見は持ってるししっかりしてるけど、話を振ってもらわない限り周りに伝えようとしないタイプの人が多すぎる気がする。話の途中で邪魔が入ったり自分の述べた意見に反対意見が出ればすぐに気分を害して話さなくなったりすることもしばしば。論議というよりはむしろ、相性が合うか合わないかの整合調査みたいなもん。

有能なリーダーっていうのは自己主張することなく、まんべんなく意見を引き出してそれぞれの能力を最大限に生かすことができるらしい。自分から意見を言おうとする人だけでなく、良い意見を秘めた口数の少ないメンバーからも意見をうまく引き出して、議論を進めるんだろうなぁ。そういう人が会社のトップに立ったりするんだろうと思う。

僕はそういうリーダーを目指したいんやけど、今のところどうしたらいいものかまったく検討がつきませんわ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月17日 (火)

体育祭予行演習2008

18700085_1581870817

-僕が涙を流したのは
 彼らのひたむきに頑張る姿が
 ただ美しいと思ったからじゃない。

 その裏側が見えたような気がしたから。

 目の前にいる彼らの姿と
 中学時代の自分とを
 重ね合わせて見ていたから-



…僕が海外に身を移す前のこと…



夏が名残惜しそうに暑さを残しつつ、自分の居場所を秋へ譲り渡そうとしていたころ。

9月のはじめ、秋がはじまろうとしていた。

久しぶりにゆっくり地元にもどってきたから、何かしたくて出身中学に足を運んだ。僕が何のアポもなく急に中学を訪れても、先生たちは一切驚かない。3ヶ月に一度は、ほぼ必ず出現するから。笑

いつものように中学の校門を通り、職員室へと向かう。
僕はいつも落ち着いた気持ちで廊下を歩く。
廊下ってなんか落ち着く。
セメント造りの廊下はひんやりとしてて、少し薄暗くて、心を落ち着かせる効果があるんじゃないか、って思う。
1年に何度も訪れる場所も、どことなく懐かしさを帯びるものだと改めて感じた。

9月のはじめ、中学では体育祭のための準備が行われる。
体育祭の進行や係りの割り振りやいろいろな競技種目の出場の振り分け、各競技の練習などをする。

朝からクラスのみんなで集まって練習をすることもある。
通称「学レク」と呼ばれる学年別クラス対抗の競技があって、それで好成績を収めるためだ。クラス一丸となって勝利を勝ち取る。僕らが3年生のときの学レクはたしか30人31脚。はっきりした数は忘れたけど、2人3脚のクラス全員バージョン。朝からみんな揃って練習したもんだ。僕らのクラスは練習のときに一度もほかのクラスに勝ったことがなかったのに、本番当日で1着になるという奇跡を起こした。いま思い返せば、あれは誰一人あきらめずみんなで朝はやく集まって何度も練習した成果だと思う。涙が出そうなくらい嬉しかった。

今年の体育祭もその学レクが熱い競技となることは間違いないが、体育祭といえば女子のダンスと、男子の組立て体操がほぼ体育祭のメイン競技になるといえる。

体育祭の日が近づけば、それらの練習も本格的に始まる。

この秋に僕がはじめて中学を訪れたときは、体育祭に向けての準備は着実に進んでいるとはとても言えない状況だった。生徒同士でのいざこざがあったり、体育祭で踊るダンスの構想をゼロから作り直したいと女子生徒が言い始めたり、体育祭に集中したい時期にもかかわらず先生の頭を悩ませることがいっぱいあって、物事が前に進まない状態だった。先生や生徒にとっては、そういう経験ものちのちになってからいい経験として思い出されるのは間違いない。しかし体育祭の日程は動かせない。先生が焦っているのを察して、生徒の中にも焦りを見せ始める子がたくさんいた。

そんなバタバタした状態だった。


そんな中学を何度か訪れた。
そのうちに「体育祭見てから渡米したいなぁ」なんて思うようになっていった。
しかし日程的な問題で、僕は体育祭本番は見られないことがわかった。
確か体育祭本番は、僕が渡米する日の次の日かその次の日だったと思う。
本当は文化祭も見たかったけど、文化祭は10月に入ってからだということを知っていたので、僕はハナっから文化祭を見れることなんて期待してなかった。

そうして、体育祭も文化祭も見られないことに気付いてうなだれている僕を見て「体育祭の予行手伝ってくれたら嬉しいんやけど」と声をかけてくれたのは、僕のかつての担任の先生だった。

それが体育祭の予行演習前日のことだった。
つまり、僕が渡米するほんの2,3日前のこと。

僕は間髪をいれず先生に返事をした。
「手伝ってもいいよ」に「…人手が足りひんのやったら」という照れ隠しの言葉を添えて。


そうして迎えた体育祭の予行演習当日。
僕にとっては体育祭当日のようなもの。

空は少し雲があった。カンカン照りじゃないのがなんかもったいないと思ってしまうところだが、予行中ずっと外にいる先生や学生たちのことを考えると、ちょうどいいくらいだ。
本番当日、学生たちの熱いまなざしの上に太陽が顔をのぞかせてくれればそれでいい。

いろいろな種目の進行を確認しながらプログラムが次々と進められていく。もちろん、100m走などははじめの一列が走って、あとは全員塊になってゴールテープまで走って時間を省く。予行は各競技の進行を確認するためのものだから。

ただ、種目によっては本番と同じように行われるものもある。
学レクやリレー、ダンスに組立て体操がそうだ。

プログラムも終わりに近づいた頃、3年生の学レクが始まった。
僕らのときと同じ、30人31脚だった。
予行演習にも関わらず、誰一人として手を抜くやつはいない。そんなことをすればたちまちクラスの和が乱れ、勝利への道が閉ざされてしまうことをみんな知っているから。
そんな中3のみんなのがんばる姿を見ていると、胸に込み上げてくるものがあった。かつて自分たちがそうであったように、彼らにも彼らの学年全体の苦しみや悲しみがあったに違いない。嬉しいことや楽しいこともたくさんあったと思う。そんな経験をともにしてきた仲間と力を合わせて、今まで築き上げてきた絆の強さをこの体育祭で見せ付ける。それまで仲間と共有してきた時間の素晴らしさや尊さをかみ締める始める瞬間は、この中学最後の体育祭なのかもしれない、って勝手に思った。
気付かないうちに涙が溢れ出して、とまらなくなった。
みんな前を向いて必死になって走って、誰かひとりが転んでそこから乱れが広がっていき、進めなくなってしまう。転んでしまったところから再スタートするにしても、みんなの動きに焦りが見える。「もうダメかもしれへん」という気持ちと「まだあきらめたらあかん」というふたつの気持ちがチームの中に見えはじめた。しかし誰もあきらめず、ひとりも取りこぼさずにゴールを目指す。僕らが中学生のときに目指していたものはこれだったんじゃないかって改めて思って、当時の自分の不甲斐なさを感じて、胸が締め付けられる思いがした。いろいろなことがあったけど、それでも前を向いてとにかく前に進もうとしていた中学時代。もっといろんなやつと関わっていたかった。中3のときに感じた僕の心の満たされない感情は、それだったのかもしれない。そう思うと涙が止まらなかった。恥ずかしかったけど、顔がぐしゃぐしゃになるくらい泣いた。

中1よりも中2、中2よりも中3のほうが、一瞬一瞬にかける気持ちは強い。この予行演習も彼らにとってはかけがえのない一瞬として心に刻まれる。そのことに薄々気付き始める子が桂中の3年生にはたくさんいたように思えた。

あの日、僕らが奇跡的な勝利を手に入れたときと同じように、ひとりひとりの努力が勝利へとつながり、ともに歩んできたクラスの仲間との努力はいつまでも心の中に輝きとして残りつづけることを、彼らにもこの体育祭で感じて欲しいと願った。

3年生の学レクが終わって、女子のダンス。

本番のほぼ1週間前に構想を練り直したダンスも、予行演習のときにはしっかりした形になっていて、学生と先生が一丸となればできないことはないんだなぁとしみじみ感心した。


そして、男子にとっては体育祭のメインイベントがやってくる。


組立て体操。

太鼓の音が合図となって全学年の男子がグラウンドを駆ける。

僕は自分がグランドに立っていた中3時代の自分の体育祭を思い出しながらその組立て体操を見ていた。

組立て体操の最後に4重の塔というのがある。
土台が何人もいて、その上に4,5人いて、そのまた上にも3人いて、てっぺんにひとり。塔を構成するメンバー以外は、塔を作り上げるための補助にまわる。毎年けが人が出るようなこの4重の塔を完成させることが、体育祭成功の鍵を握っていると言っても過言ではないと僕は思っている。
今年も学生たちはその4重の塔に挑戦する。

応援席から見つめる女子や、放送席や休憩席のあるテントから見守る先生たちが固唾をのんで見つめるなか、下の段から順々に立ち上がり塔が出来上がっていく。
しかし、1回目は立ち上げに失敗。
真ん中のメンバーがぐらついてうまく立ち上がれなかった。
2回目も失敗。
なかなかうまくいかない。

そのとき、僕の頭の中にある出来事がよみがえった。

中学最後の体育祭。
あれは本番当日のことだった。
僕は4重の塔で上から2段目だったと思う。
確か1度か2度失敗して、3度目に塔が完成した。
グラウンドに拍手が巻き起こって、塔を構成しているメンバーも安堵の表情を浮かべていた。
完成した後、上の段から一段ずつかがんで塔が小さくなっていく。
そして塔の一番上に乗っていたゆうじがてっぺんから降りた。
その後、今度は上から2段目の僕らが降りる番。
同じ段の二人と手を放して下に降りようとしたとき、僕はバランスを崩した。後ろに補助のメンバーがいるかどうかもわからないまま、僕は後頭部から真後ろに地面に向かって転落した。
「頭打って死ぬ」と思った。
そういうときって意外と冷静に物事を考えられるもので「あ、しまった」って普通に考えられた。

と思っていると、誰かが僕のことを地面に打ち付けられる前に受け止めてくれた。

小学校のときから仲良くしてくれてる親友だった。

奇跡だと思った。
心の中でかなり感謝した。

きくと、僕が落ちる瞬間をタイミングよく見ていてくれたらしい。

本当に助かったと思った。
こいつがいなかったら僕は今頃後頭部強打で脳内出血を起こして病院で息を引き取っていたにちがいないとさえ思った。大げさに言えば。


このときのことを入れると、僕は2回死に損ねている。
僕は簡単には死ねない。
死にたくても死ねない、とかじゃなくて、もしこの先自分の命が危うくなることがあったとしても、簡単に自分の命をあきらめてはいけないという使命感があるということ。


そんな奇跡的な体験を思い出していた。


いや、あれは奇跡じゃなくて必然だったのかもしれない。
僕が後ろに落ちそうになったのも、そこにあの親友がいたことも…。



頭の中の回想に浸っているうちに、ぼやける視界の目の前で4重の塔は立ち上がっていた。

過去の回想といま目の前にある塔と、まだ予行なのにも関わらず湧き上がる歓声に圧倒され、また涙が出ていた。

泣き虫もほどほどにしてほしい。


そうして予行演習は無事に幕を下ろした。
僕はその後母親からの電話に気付き急いで家に帰り、昼ごはんを食べてから渡米の準備に追われた。


いろんなことを思い出した1日だった。
心の中では新しいことも発見したような気がする。
予行演習に参加させてもらうことで、自分との対話をもつ時間になったし、やっぱり中学での経験はかけがえのないものだったんだと改めて実感した。

11929312_464904675

桂中に入学したからいまの僕がある。
桂中で出会った仲間や先生がいるからいまの僕がいる。
嬉しいこと楽しいこと、悲しいことつらいこと、すべてをひっくるめて、本当に素晴らしい中学生時代を過ごした。



やっぱり僕は桂中が好きだ。


渡米前にそんなことを心いっぱいに感じたその翌日、僕は日本を旅立ちました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月31日 (水)

私がすべきだったこと

結局のところ私がしなければならなかったことはいたって単純なことであった。「差別について考えるきっかけ」を作りさえすればよかったのだ。というのも、話している私と私の話を聞いてくれている人との間に、社会であびこっている差別事象や人権についての知識の差はそれほどなかった。こと私自身においては、いくら勉強したところで、中学生の私に差別事象や人権について、人に自論を語るなんてことは不可能だった。

第一に、日本社会でおこった差別事件や身近なところではびこっている差別事象についての知識が少なすぎた。先人がどのように部落差別と闘ってきたのか、どのような解決策をとってきたのかをあまり熱心に勉強しなかった。少なくとも実際におこった出来事やその事象がどう対処されたのかくらいは知っているべきだったに違いない。しかし、私は人から話を聞く以外に、自ら部落差別についての本を手にとったりすることはしなかったのだ。

第二に、いくら知識があったところで、私が他人に自論を説くような明快に自論を展開するような余裕はなかった。専門知識がない上に予備知識もない状態で、どうやって人に自論を説こうか。所詮、中学時代の私の浅い思考では自分自身の考えを確立するにも至らない。見た目も中身も、まだまだ未熟な青二才だったに違いない。そんな状態で人に自論をひけらかすなど、恥さらしに過ぎない。ところが、当時の僕は人に自分の意見を語ることは自論を説くことを意味していると解釈していた。誰かに対して自分の意見を言うときは、自分の解釈を一通り相手に伝えるのが当たり前だった。それは相手に自分の意見を押し付けるような話し方であったと思う。

ひとこと断っておくと、私は自分が至らない存在であることを承知の上で自論をひけらかしていた。基本的に、学校の教員や地域のオトナたちは、十代前半もしくは十代半ばの学生にそれほどしっかりした意見を期待してはいない。むしろ、学生がどのように考えるのか、各個人の率直な意見こそが、彼らの知りたいところだったのだと思う。さらに、私自身を擁護した言い方をすれば、私は自分の将来のために積極的に自分の意見を言うようにしていた。自分の意見を自分の思っているとおりにはっきりと言える人間にならなければ、近い将来社会に出て働き始めたときに苦労すると子供ながらに判断したからだ。そのこともあって、私は自分の意見を積極的に言うようにしていた。ところが、悪いことに、そのことが自論を他人に押し付けるような私の悪い癖を形成していったのだ。

私が本当にしなければならなかったことは、「聞き手に考えさせること」だったのだと思う。私が一方的に話すのではなく、私の意見をある程度述べた後、あとは聞き手の意見を聞かせてもらう。部落差別について学んだり考えたりするきっかけを作るのが私の使命だった。私の知識を植え付けたところで、聞き手は何も学べない。むしろ不必要な私自身の見解を押し付けてしまうことになる。変な固定観念を植え付ける可能性さえある。それほどのリスクを背負ってまで、私は自論を説こうとは思わない。しかし少なくとも、中学・高校時代の私は、俺の意見が正しいのだから、みんな俺の話を聞け、という気持ちで聞き手に話しかけていたのかもしれないのだ。間違っていたと思う。

話を展開させていくうちに、自分の世界に聞き手をうまく引き込む話し手がいる。大きな講演会を持つような著名な人に限らず、日常で出会うような身近な人でさえ、驚かされるほど自分の話に引き込むのが上手な人がいる。彼らに共通して言えることは、自分の話をしたあと、相手の意見をしっかりと聞くところにある。自論だけではなく、相手の意見が加わった「会話」そのものが、彼らの「話し方」となるのだ。聞き手からしてみれば、自分も話題の中心にいるようで、会話にも力が入る。彼らのような話し方は、聞き手を話題に集中させる効果があるのだ。もちろん、彼らの自論がしっかり構築されていることも大前提としてある。自分の話の筋を通し、ぶれないように話を進めていく。絶妙なタイミングで聞き手が自然と質問をし、それに答えつつ話を次へと進める。これの繰り返し、つまり「会話」が彼らの技である。

話し手がいて、聞き手がいる。一見、話し手から聞き手への一方通行の会話になりそうであるが、それではお説教をしているにすぎない。会話を技術として、誰かに自論を説く。前述の自分の世界に聞き手を引き込む技である。これができれば、自論を押し付けるだけに留まらず、伝えたいことと考えてほしいことが一挙に伝わるはずである。かなり有意義な会話となるだろう。そのためには、会話中の相手との適切な距離感や相手に心を開いてもらえるような安心感を与える雰囲気を作ることが必要不可欠である。ただ、この技は一朝一夕で見につくようなものではない。時間をかけてたくさん経験を積むことによってのみ体得できるものだと考える。最終的には自分がほとんど話さなくとも、相手の意見を引き出すことのみで会話が成立するようにすることが目標となるといえる。常に相手の頭をフル回転させるような会話に持ち込むのだ。かなりの高等技術と経験が必要と思われるが、私が目指すところはそこである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月14日 (日)

モットー

中学2年生時の僕のモットーといえば

「あなたが微笑みたくない人にも1日5回微笑みましょう」(マザーテレサ・カトリック指導者)

でした。

今も昔も変わらないのですが、僕の性格は物事をはっきりさせたがる性格です。

中学校に入学したばかりの頃の僕は特に、「この人は好き」「この人は嫌い」というふうに人の好き嫌いをはっきりさせていた記憶があります。

しかしあるときふとこんなことを思ったのです。

「なんで人のこと嫌いになるんやろう」

そう思うようになったのとほぼ同時期に、上のマザーテレサの言葉に出会いました。

そこで僕はその言葉に対して素直になることを決めて、毎日嫌いな人に笑顔を見せる努力を絶やさないように心がけました。

まずは挨拶から。

とりあえず毎朝、顔を合わせたら「おはよう」を言うようにしました。

たとえ返事がなくとも、毎朝毎朝、笑顔で。

加えて、1日の中で嫌いな子と接する時間をなるべく多く設けました。

なにしろ1日に5回は微笑まなければなりませんでしたから。

そうすると、1週間もしないうちに、僕の心の中から「あの子が嫌い」という邪念はみるみるうちになくなっていきました。

はじめのうちは「こっとが挨拶してんねんから返事しろや」と思っていましたが、だんだん挨拶をすることが習慣化されていき、微笑むことについても違和感をまったく感じなくなり、いつの間にか自然と挨拶ができるようになったものです。

相手に対する感覚はというと、「相手のことが好きになった」とか、そういうものではありませんでした。

どちらかというと「許す」という表現のほうが合っているような気がします。

僕が人を嫌いになることの前提として、僕が嫌いになる人は僕に対して冷たい人で、言い換えれば僕のことが嫌いなんじゃないかと思えるような態度をとる人がほとんどでした。

僕はそれが許せなかったのです。

これだけ仲良くしようとこちらから迫っているのに、なぜそれに対してもっと友好的な態度がとれないんだ、という怒りというかもどかしさみたいなものを頻繁に感じていました。

「こっちが仲良くしてやってんだからそっちもそれなりに楽しそうにしろよ」という半ば権威的な態度で構えていたのかもしれません。

当時の僕の最大の問題点はそこにあったように思えます。

「自分がこうなんだから、相手もこう。そうじゃなきゃ嫌だ」

という固定観念というか、自分勝手な尺度で世界を測ろうとしていたような気がします。

嫌いな人にも微笑みかけるようになってからは、僕の世界はかなり広がったような気がします。今まで踏み込まなかった世界ともかかわりをもつようになったからです。

もっとも、人を嫌いになることは自分にとってマイナスである、ということはわかっていましたし、何より「あの人嫌い」という意識を持ちながら毎日のように顔を合わせるのはかなりのエネルギーを消費することにつながり、疲れるだけだということも感じていました。

まず、「嫌いな人」というのを定義している時点で、僕の中にはその人が自分に対してマイナスな影響しか与えないと思い込んでいたのですが、それが一番の問題だったのです。

自分に対してマイナスの影響しか与えない人なんていうのは存在しません。

すべての人は僕にプラスの影響を与えます。それが良いものか否かは別として。

「人の振り見て我が振り直せ」

という言葉がありますが、まったくその通りです。

人のことをあぁだこうだと言っているうちは、自分にも至らないところがゴマンとあるんだということを露呈しているに過ぎません。

それと、嫌いな人が嫌いな人となりうる原因のひとつとして、その人を見ていてイライラすること、というのがよくありますが、これはそのイライラする行為を自分自身も同じようにしているからイライラしてしまうのだそうです。

逆転の発想からいくと、嫌いな人の中にこそ僕が改善すべき事柄のヒントが隠されている、ということなのです。

まさしく、人の振り見て我が振り直せ、です。

マザーテレサの言葉を実行することによって、僕の意識が人の好き嫌いの感情を左右することを知りました。好きか嫌いかは、毎日微笑みかけるという行為、つまり僕の意識の持ち方次第でいくらでも変えられるということです。それに加えて、人を嫌いになるということはほとんどの場合、自分にとってマイナスにしかなりません。誰かのことが嫌いになるのであれば、同じように自分のなかに自分が許せない嫌いな要素を含んだ自分がいるのかもしれません。それを受け容れるためには、自分と向き合い、自分を更生させていくか、嫌いな人に微笑みかけて、「許す」しかないのだと、僕は思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記

今回は書きたいことがうまく表現できませんでした。途中話が脱線しかけてその部分を省いたり、書き直したりしているうちに焦点がずれ始めて、最後にむかって文全体がぼやけていったように思えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月30日 (日)

夢を持てるか持てないか

高校2年生の1月、地元の反差別集会で僕はおよそ200人の人の前で自分の思う「教育」というものについて、意見を発表したことがありました。

題名は「教育とは」でした。

それまで教育の現場にいた経験があったわけでもなく、特にほかの人と違う特別な意見があったわけでもありません。むしろ、ただひとりの人間として、今まで生きてきた中で教育というものを考えたときに自分の中から出てきたもの、感じたものを発表しようと思ったのです。中学を卒業して、自分の中学時代も含めて、いま中学生に必要なこと、地域のオトナが子供にどう影響しているのかを、僕なりの見解で紐解いていきました。

結論から言って、オトナが輝いていない社会で、子供は輝こうとはしません。自分の好きな仕事につけず、あえいでいるオトナを見て、輝かしい自分の未来を想像できる学生はいません。この不況の中、就職できたとしても近未来的にリストラされるのかもしれないと予想してしまいそうな社会で自分らしく生きていこうとは考えられません。オトナはオトナで辛い現実と向き合う必要があるのはいうまでもありませんが、僕が言及したいのは、その飛び火が子供たちにも降りかかっているのではないかということです。

ですから僕はその集会で、「オトナが輝いていないから子供たちも輝かないんだ」ということをはっきり言う必要がありました。そのことを大勢の前で言うことは、簡単なことではありませんでした。目の前にいるすべてのオトナを否定することにつながるおそれがあったからです。

しかし、僕はそれを言わざるを得ませんでした。

なぜかというと、僕が自分の話をいちばん聞いてほしかったのは、同会場に参席していた中学生だったからです。なぜ自分や仲間の中で「勉強ができなくてもいい」「適当にやってればこれからもなんとか生きていける」という考え方が広まってもなんの危機感もないのか、それ以前に、なぜ自分の未来にもっと希望をもてないのか、積極的に語りかけることができないのか、その理由のひとつとして、地域のオトナと中学生の教育というものに関連性があるということをを知るひとつのきっかけになればいいと思ったからです。

その話をして中学生に何を考えてほしかったかというと、それは「自分の人生はまさしく自分ひとりの人生だが、その人生を形成する上で、他者とのかかわりは切っても切れない関係にあり、友だちや学校の先生だけでなく地域や社会のオトナも常に作用している」ということです。自分が未来に希望をもてないのであれば、それはまわりの誰かが「未来には希望なんてもてないよ」となんらかの形で教えた(というかその当事者が勝手に学んだ)からそう思うようになったんだと僕は考えます。もちろん、失恋したり、嫌なことがあったあとに、一時的に未来に希望がもてなくなることだってありえます。しかしそれは、自分の未来というものを、恋愛面や何かのカテゴリー(枠組み)にあてはめて考えているにすぎません。失恋したからと言って自分の将来の仕事について希望がなくなった、とは考えないということです。

では、地域のオトナが輝いていないのか、というと、そうではないというのが僕の本音です。冒頭ではオトナが輝いていないと言いましたが、そうではありません。ここで矛盾が生じてしまいます。なぜ矛盾が生じてしまうのかというと、中学生と僕の間には大きな価値観の差があると考えるからです。

「輝いている」という抽象的な言葉を多用していることで話をややこしくしているのかもしれませんが、そもそも僕の考える「輝き」というのは「自分のしていることに対して自信をもっており、いきいきと誇り高く行動している様子」です。ですから簡単にいえば、どんな仕事であっても楽しそうにいきいきしていれば輝いてみえる、ということです。

しかし「パイロット」「医者」「弁護士」「会社経営」「会計士」などの、一般的になるのが難しいと考えられやすい職業についている人たちを「輝いている人たち」と、認識する価値観を持つことも考えられます。それが先ほど述べた中学生の価値観です。

これは僕が勝手に定義してしまったものです。

中学生の多くは「高学歴・高収入」だけが「輝く未来」だと勘違いしている場合があります。これは彼らが勝手にそう思っているのではなく、社会がそう教え込んだのです。「バブルの崩壊」だとか「負け犬」といった言葉をたくさん耳にして、21世紀を迎えたこの時代に生まれてきた子供たちは困惑しています。恥ずかしながら僕もそのうちのひとりです。お金に困らないことがまず輝く未来の第一条件であり、次にまわりに認められやすいいわゆる社会的地位の高い職業に就くことが最終的な輝く未来なんだ、と勘違いしてしまいます。

そう考えること自体はそれほど問題ではないのかもしれません。自分が勉強をがんばったり、目標を設定してそれを達成させる動機として、自分を常に奮い立たせる原動力になるからです。しかしここで問題が生じてきます。

「自分にはそんな職業を目指せるような学力がない」

と、希望をもった矢先に挫折してしまうのです。その職業を目指すんだと決断したときに、自分はそれを持続しうるのか、それともすぐにあきらめてしまうのか、それはやはり自分の現状と理想を比較してみたときに、そのギャップ(差)を自分で埋められるかどうかにあると思います。

僕の出身中学はほんの40年ほど前までは創立すらされてなく、地域の人たちはろくに勉強もできない環境でした。(それ以前から地域の方々が命がけの活動をしてきてくれたおかげで僕の出身中学は創立されました。)ですから、学校に通えなかった地域のオトナの中にはひらがなすら読めない人もいますし、中学に通えるようになった人も子供の頃から親の仕事を手伝ってばかりいて勉強なんてできなかった、という人がたくさんいます。

僕の出身中学は現在も市内でも学力水準が低いほうだとされています。学力水準という言葉を使うことが正しいのかどうか僕には判断できませんが、僕の同級生の中にも勉強がかなり不得意だという子はたくさんいました。(それを学力水準という言葉で片付けてしまえば、そのような表現になってしまいます。)ですから「勉強はできなくても大した問題ではない」と考える子も少なからずいたと思います。これが夢をあきらめるひとつの理由になってしまう、ということが、僕が警鐘を鳴らすところです。

「みんなもできないんだし、しょうがない。自分はそういう環境にいるんだ」

と考えかねないと思うのです。

残念ながら、自ら環境を変えてやろうというエネルギーに満ちた学生はそれほど多くありません。むしろ、素直に自分の置かれた環境を受け入れて何の疑いももたない学生のほうが多いのです。環境を変えることなどとは考えもせずにはじめからあきらめてしまっている子もいるのかもしれません。中には経済的な問題で夢をあきらめてしまう子もいますが、そのような特別な理由がある以外には、自分の力量に見切りをつけて、自分の目指す目標を低く低く設定するようになってしまうようなのです。

「もともと夢なんてないから勉強もそれほどしっかりやろうとは思わない」

という話をしてくれた子がいました。しかしそのときに僕はこういいました。

「夢がみつかったときに勉強が不十分なせいで夢をあきらめざるをえなくなる場合もあるから、もしいま将来の夢がなくても勉強はがんばろうね」

と。

将来の夢があって勉強する目標があれば、自分の力がいたらなくとも努力を続けられるでしょう。しかし、そんな幸せ者はあまりいないのが現実です。大切なことは、夢があるないにかかわらず、勉強することによって将来つきたい仕事が見つかったときに少しでも楽ができるかもしれないんだから、勉強はがんばろう、ということです。

話が少しずれたので、戻します。

僕の出身中学のオトナたちは輝いていました。

それは自分の仕事に誇りを持ち、毎日をいきいきと暮らしていたからです。日中は仕事をし、週に一度はPTAのバレーボールに出かけて体を動かし、夜は地域の仲間とお酒を呑んで子供の話や若いころの話に花を咲かせ、楽しそうにしていました。極端な例をあげましたが、僕のイメージでは地域のオトナたちはこのように自分の暮らしを楽しんでいました。これがぼくの思う「輝き」だと思うのです。ですから、もしある中学生が「地元で生活するし、つきたい仕事も決まって勉強も必要ない。あとは中学を卒業するだけ」という判断を下したのであれば、僕は彼の将来についてあれこれ言うつもりはありません。むしろその強い意志を尊敬します。実際、僕の同級生の中にもこのような判断をした子がいました。僕の中では、彼は地元で輝いている人のうちの一人です。僕は彼のことを尊敬しています。

彼が中卒で働くことを決意したのは、家庭の経済的な事情だとききました。彼が、早くお母さんを楽にさせてあげたいと言っていたのを覚えています。

しかし残念ながらこれは例外です。確かに僕の中では彼は輝いていますが、彼には選択肢がありませんでした。勉強をして高校に行って大学に行って就職先を自分で決めることが、彼にはできなかったのです。

そんな彼のような存在があるのも手伝って、中卒でも働いていけるんだ、と勘違いをする子が出てきます。しかし彼のように追い込まれた存在でもない限り、中卒の15歳の人間が腹をくくって働けるかというと、ほとんどの場合不可能です。しかも彼のように自分の生活を受け入れて楽しめるか、輝けるかというと疑問の残るところです。

自分の納得のいく生活とは何なのか、その生活を将来的に送るためにいま何ができるか。

その仮の基準を設定するのが、地域のオトナだと僕は考えています。

オトナひとりひとりがどのように考えるのか、それをきく意味も兼ねて地域の子供たちはもっとオトナと話をする機会をもつ必要があるのだろうと思います。自分の将来には選択肢がいくらでもあるんだということも知るべきだと思いますし、もっと自分の将来に希望を抱くべきです。

自分の本当の幸せなんていうものは、自分にもわからないものですから、将来に希望を抱いて夢見たところで、それが自分にとって一番の幸せになるかどうかなんてわかりません。

地域内に自分の生活に不満を感じているオトナがたくさんいるとするなら、子供たちもまた、まだ見ぬ自分の将来に不満を抱くのだと思います。それを促進させてしまうのもオトナ、阻止しうるのもオトナ。そういう意味では、子供たちの将来は地域のオトナたちの手に委ねられていると言っても過言ではないのかもしれません。もちろん、学校の教育というのは必要不可欠なものであり、それもまた学生の将来に大きく左右してきます。それと同様に、あるいはそれ以上に、地域のオトナと子供とのつながりも重要になってきます。そのためには定期的に地域のオトナに中学校に出向いていただくことが必要になってきます。また、専門職についているオトナにも学校に来ていただくのも将来を考えるいいきっかけになると思います。専門職につくにはどうするのか、その専門職につくとどんな生活を送ることになるのか、などを知ることで、自分の職業選択に幅を持たせることにつながります。

しかし、いまの自分の生活を充実させるためには、目標をもってそれに向かってまい進することが必要なんじゃないでしょうか。そのために輝かしい未来を想像することをオトナたちは子供に伝えてあげるのがよりよい教育のひとつなんだと考えます。その具体的な手段は、これから僕たちが考えていくべきことなのです。

最後まで読んでいただいた方ありがとうございました。

このブログは僕の意見発信の訓練の一環でもありますので、もしよければコメントのほうよろしくお願いします。

南野亮

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月19日 (水)

自己紹介

ブログをはじめるって言ったって、どこから話をしていけばいいのか・・・

ということで、とりあえず自己紹介をしようと思います。

1988年4月27日宮崎県日南市生まれ

現在20歳の大学生です。

4月27日を語呂合わせで「死にな」と読めることから自己紹介のときは「誕生日はシニナって覚えてください☆」と言う癖がついてしまっています。

実際に1歳になる前に心臓が止まって「もうダメです」と一度お医者さんに言われた経験があるそうです。

小学校6年生のときの修学旅行で親から手紙をもらう機会があったのですが、そのときに

「あんたは一度命を落としそうになったけど、そのときにいろんな人に見守られてみんなが「元気になれぇ」って願ってくれたから、元気になってここまで健康に大きくなれたんやで。まわりの人にやさしくできて、自分の命も大事にできる人になってくださいね」

と手紙に書いてあったことを覚えています。

不幸にして幸いを手に入れたという言い方が正しいのかどうかわかりませんが、僕は自分の命を落としかけることで、「命の尊さ」と「自分は生かされている」ということを知ることができました。これは僕の人生の中で大きな出来事だったことは言うまでもありませんし、僕のこれからの人生にも大きくかかわってくることは間違いありません。

「自分はなぜ生まれてきたのか」

「自分は何のために生きているのか」

たいていの人が自分の人生のうちに一度は悩むテーマだと思います。

僕はそんなテーマについて人と語り、自分という存在をお互いに確認し合う手助けをするためにこの世に生き残ったんだという使命感のもと毎日生活しています。

といっても、僕もひとりの人間。

だから人を傷つけてしまうこともあるし、人に腹を立てていまうこともしばしばあります。

僕が中学生だったころ自分に課した課題は

「すべてのことを許す」

でした。

誰に何をされても怒らない。

誰に何をされても悲しまない。

その対象が僕である限り。

つまり、僕は誰になんと言われようが、誰に何をされようが、感情的にならないようにしようと試みたわけです。

僕の中ではこの課題を実行することはいい訓練になりました。

だから少しは心が広くなったような気がしますが、やはり感情的になることはよくあったし、人を傷つけることもあったと思います。

僕の一番悪い癖は、この課題をこなしていたときそうであったように、自分の行動をすべて肯定的にとらえて、相手にもその考え方を強要してしまうことです。

「今の言い方は相手を傷つけるために言ったんじゃない」

と思って言ったことが結果的には相手を傷つけることにつながっていた、ということはよくありました。

少し伝わりにくいかもしれませんが、要は僕の発言に対しての僕と相手のとらえ方にはしばしば差があり、その多くの場合、相手が傷ついているということに僕自身が気づいていなかったということです。

そのおかげで現在の僕は自分の発するすべての言葉に最大限の注意を払うようになりました。それでもまだまだ不十分であることは言うまでもありませんが・・・。

このように自分自身に使命感があるにもかかわらず、やはり感情的になったり人を傷つけてしまったりすることもある、というのが僕の性格の一番核となる部分だと思います。

自分を優先するよりは相手を優先する、が僕のやり方です。

だけど、たいがい最後は「自分勝手」と言われるのがオチです。

僕の考え方では「相手の選択や発言は尊重するが、最終的に自分の言いたいことははっきり言っておく」というだけのことで、自分の意見が通らなければ不機嫌になるというものではないので、自分勝手だとは思わないのですが、議論中の態度や言い方次第では相手にそのように感じさせてしまうこともあるのかもしれません。

僕の発言や行動が人の目には権威的なものとして映ってしまうこともよくあります。これは自分でもよく感じるところです。

小学生の頃から人前に立つのが好きで、気づいたらリーダーの立場にいることが当たり前になっていました。

小学校時代は学級代表や部活の部長、児童会役員の委員長(といってもそんなに大したものでは・・・)を経験しました。

中学時代は班長に始まり、学級委員長、生徒会役員から生徒会長、部活の部長までかなり活動の幅を広げました。さらに中2と中3のときには文化祭における学年劇で主演を演じ、文化部の活動では和太鼓をたたくときに必ずと言っていいほどど真ん中でたたいて、部長ではなかったにしても、かなり重要な役をやらせていただきました。(文化部の活動は僕の人格を形成する上でかなり重要な要素を含んでいますが、それについては追ってお話します。)

高校時代は、学級委員長や生徒会にはかかわりませんでしたが、文化祭で3年連続主演を演じました。ほとんどの場合、台本作りからキャスティング、音楽にいたるまですべてを自分でやろうとして、「ひとりでやりすぎ」と逆に怒られることもありましたが、とりあえず自分でできることはなんでもしようと努力して、高3のときは脚本・音楽・演出・主演を務め、「巨匠」という称号をまわりの人から名づけていただきました。

勉強については、中学の頃からそれほど得意だとは言えませんが、成績だけはよかったことも助けて高校は学区内トップだと言われた学校に入学することができ、現在は大学にも通うことができています。

これだけ話すと、輝かしい経歴をもってすごい人なんだ、と思われることがよくあります。残念ながら僕は自分の悪い部分をあまり人にべらべら話すタイプではないので、自分にとって利益のあるようにしか話を進めません。しかも自分があたかもすごいことをしてきたかのように話してしまうので、すごいんだということしか伝えないこともよくあります。

ここで問題となってくるのが、まわりの人が本当に僕のことを「すごい人なんだ」と勘違いしてしまうことです。

冒頭の方で話したように僕は「ひとりの人間」です。

それにもかかわらず僕のことをすごい人なんだと思われると、みんなが言いたいことを言えなくなりますし、僕自身も調子にのってしまいます。僕の意見が最終的に通ってしまうことも増え、僕が求めている「それぞれの意見」というのを引き出せなくなり、たとえば演劇について言えば、みんなで作り上げた舞台にはならず、「僕の、僕による、僕のための舞台」になってしまいます。

これがさきほど述べた「僕の発言や行動がまわりの人の目には権威的に映ってしまう」理由のひとつです。

「南野の意見は実力と経験に基づいているから貴重な意見としてみなされる」

と言われたことがあります。

確かに、まわりの人と相対的に見て演劇や発言についての積極性を実力というのであれば僕はまわりの人よりも能力が長けていると言うことはできると思いますし、僕が今までに経験したことは「普通」という枠組みを設定した場合にはかなり特別なものが多く、有意義なものが多かったのも事実です。

ただ、それを僕のまわりの人たちは「利用しよう」とはしません。

僕は、自分の実力や経験をもってして、まわりの人たちの活動に貢献できれば、と思っていますが、だいたいの人は僕を敬遠するかのように僕がひとりでいろいろやっているのを傍観するだけに終わります。

「南野がこう言っているからこれでいこう」

という言葉は、僕にとって一番不確かなもので僕の恐れるところです。

僕の意見が通ってうれしいという気持ちがある反面、「反対意見はないのだろうか?」と考えます。「本当にこれでいいの?いいとしたらなぜこれでいいの?」と頭を抱えることもかなりあります。

当たり前のことですが、僕の意見が通らないこともよくあります。

しかし、そのほうが意見交換が活発になるので、僕の意見が逆にプラスに働く気もして、ある意味安心感さえ感じることもあります。

ただ、僕の意見が通ることが多かったせいもあるのか、僕の発言のしかたはしばしば「なぜ僕の意見じゃだめなんだ?理由を言ってみろ」という権威的にとらえられてしまう言い方が多いようで、貴重な意見を持った人に発言の機会すら与えず、僕がその人たちの発言意欲を殺してしまうこともよくあるようです。

しかし、僕の中では、「僕のこの意見に対して異議を唱えるのならあなたの見解を教えてください」ということを伝えたいだけなのです。そう思う一方で、なんとか僕の意見を聞いてもらおうと一生懸命で言い方が権威的になってしまい、最終的に僕の意見を押し付けてしまう結果につながるのかもしれません。

これが結果的に「僕が気づかないうちに相手を傷つけてしまう」という例のひとつです。

僕は自分の意見を言っただけに過ぎないつもりでも、相手からすれば「自分の意見を押さえつけられた」と勘違いさせてしまう、ということです。僕がただ自分の意見を乱暴に言い放つだけで、相手の意見をまったく聞かないタイプの人間だとすれば、悪いのは僕です。自分の経験に基づいて、それを提示しながら意見を言い、まわりの反応を見てさらに意見する、というのが僕のスタイルです。その「経験に基づく」というのが、フェアな話し合いをアンフェアなものとして相手を脅してしまうのかもしれません。「オレはこんなことも経験しているのだからオレが正しいと思わんのか?」というメッセージを僕が気づかぬうちに相手に送っているのかもしれないということです。

僕には使命があるにもかかわらず、その使命を果たす最大の努力をしているかといえば、そうではないと自分で感じています。出会った人の「自分さがし」を手伝うのと同時に、自分は自分の道を行く、というスタイルは崩さないままでいます。自分らしくあろうとするがゆえに相手を傷つけてしまうこともしばしば。考え方の違いに頭をかかえることも多いですが、それでも自分の意見を隠したりはしません。ぶつかってもぶつかっても、それがよりよい未来を見出す手がかりとなり、お互いの存在を確認し合う手助けとなり、自分が生きている理由が少しでも見えるようになってくるちからの糧となるんだと信じています。

短期間で見た僕の課題は「相手の意見を引き出す努力」です。それが自然とできるようになったとき、僕はもっといろいろなことを「許す」ことができるようになると思います。それに自分の世界を広げることにもつながるとも思います。

輝かしい経歴に溺れ、うぬぼれていた自分とはさよならしつつある今日この頃です。

そんな僕のことがほんの少しでもわかっていただけたら今日これ以上の幸せはありません。

南野亮

| | コメント (0) | トラックバック (0)